みんなのコメント広場

カテゴリー │コメントをいただいて


「なぜD社を辞めたか」について、
コメントをいただいたおかげで9回にもわたってお話することになりました。

この間、貴重なコメントを多くいただきました。
皆さんからのコメントは、私の励みになるし学ぶことも大いにあります。

コメントを読んで感動したり、学んだりされてる人も多いようです。

そこで今回は、
○組織のなかで働くことでの悩みや苦労の体験とそれをどう克服したり回避したかについて。
○働くなかで学んだり感動したこと。
○仕事を変わったり、私のように出家したりと人生の転機をどう決断したかなど。

どんな内容でも結構ですので、みんなで貴重な体験を話し合いましょう。

題して「みんなのコメント広場」です。



それでは、最初にもう一つ私の学びをお伝えします。

それは、D社に勤務当時読んだ出光興産の創業者・出光佐三の伝記で読んだ彼の就職の決断です。

明治42年に神戸高等商業学校(現・神戸大学)を卒業した出光佐三が就職先に選択したのは、
なんと、神戸で小麦粉と石油を扱う酒井商店に丁稚としての入店だったのです。

学友から「お前は気違いだ。学校のつらよごしだ」と非難を受けましたが、
商売の基礎を一から体験し学ぼうという彼の信念は揺るぎないものでした。


出光佐三にならって、私も最初に入った寺は再建されたばかりの檀家のない寺でした。
つまり、すでに出来上がった寺ではなく無檀家の寺で禅僧として地力を養おうと考えたのです。


出光佐三は大卒の新入社員にこんなことを語っています。

「君らは3年か5年大学に行ったために自惚れすぎている。
そして、人間が完成したように思っているが、人間というものは実に何も力はないのだ。

ここの会社に入ったならば、まず俺は大学を出た、卒業したという気持ちと卒業証書を捨てろと言う。
人間社会の人情の複雑な中に飛び込んで、その中で鍛えて鍛えて鍛え上げていくところに人間の偉さが出てくる。

苦労をすればするほど人間は完成に近づくのだ。」




仏教は無我にて候で、苦労することで自我のとらわれが無くなってくるのでしょう。


さて皆さん、どんどんコメントをお寄せください!


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この記事へのコメント
孝ちゃん、いつも
ありがとうございます

いつも拝見させてもらっています
(パスワードがなければ
もっとささいなことも書き込めるのですが…なんて)

わたしが働くなかで学んだことは

結果を求めても、楽しまなければ、ついてこないこと

完璧な人などいないのだから、自分も人も、責めなくていいこと

ここぞという、自分のやれることだけは、手を抜かずやってれば、見てくれている人が必ずいること

でしょうか
Posted by ともみ at 2012年05月30日 22:25
まさにちょうど転換期を迎えました私にとってはシンクロでした。

少し長くなりますが
ハンドルネームリンク先に私の体験日記を綴っておりますm(_ _)m
Posted by yamatonadeshiko☆ at 2012年05月30日 23:52
思いたって大学在学中に営業の飛び込み塾(?いまだによくわかんない笑)に入って毎日飛び込みしたり、
それが終わったら、読んだ本に感動して、ディズニーランドで働きたい!って大学辞めて、面接受けて、決まる採用不採用発表前に千葉に引っ越しちゃったり(落ちてて半年後に働きだす)
直感に従うとか、当時はそーいうの考えたりなかったけど

「やりたい!」ってことは人がどーいおうが、自分が前もってどう計画してようが、やっちゃうもんだわ~
って振り返って心底思います。
だから最近はもう安心して自分くんのペースにおまかせして楽しく見させてもらお~って気持ちです。
Posted by あそんでるかみたまちゃん at 2012年05月31日 00:31
社会人4年目です。

最近大切だと思ったのは、やはり物事を曇りなき眼で見極めること。
会社の中では皆ひとつの方向を見ているようで、
実はそうでない場合もあり、逆にお互いの知らないところで
お互いを思いやり努力を重ねている時だってある。
多忙な喧騒の最中に目的意識もなしに流されていると、
次第に自分の心は乱れ、眼もピントがずれて曇っていく。

まずは無駄なプライドを捨て、座禅瞑想の心によって
自分の精神を落ち着け、因果律と慈悲の心に従い
自他共に利する視点に立ち、
然るべき行動と回避を決定していく。

善い行いは薦め、悪因果は多少のリスクを覚悟でも断ち切る。
これが最終的に最善の結果を生むということが日々感じられます。
・・・以上、洟垂れ小僧の戯言でした。。。

これからもいろんなお話を聞かせてください。
ありがとうございました。
Posted by IV at 2012年05月31日 10:28
はじめまして、時折拝見しております。
今日は初コメントさせていただこうかなと思いました。

私は若い頃サラリーマンをして、その後独立開業しました。
私がサラリーマン時代に学んだことは、矛盾を抱えながらも、うまくやっていく協調性かと思いました。
学びという点では、私の気づかぬことろで、多くの肥しがあったとは思います。

サラリーマンの時は、新規開発業務というとても創造性あふれる仕事をさせていただいたのですが、その仕事に喜びが感じられず、5年で嫌になりました。
辞める前の1年ほど、仕事しながら会社に内緒で他社への就職活動中、「おそらく、どこの会社に行っても環境は違えど、同じであろうな」という強い思いが湧いてきて、脱サラし、独立しようと思い、会社をやめて、職人さんについて修行し、独立しました。

修行中は休みなしで朝から夜まで徹底的に技術を学びました。また、精神的には独立の前に言われたのが
・学歴や職歴などのつまらんプライドは捨てなさい
・最初は客を選ぶな
と言われ、馬鹿正直に数年その通りにしました。

理不尽なお客様にもすべて対応し、ものすごく苦労しましたが、例えば、理不尽で偉ぶるお客様にも対応できたのは、サラリーマン時代の経験があったからです。組織の中で、ある意味理想と現実の矛盾の中で働く、サラリーマンのお客様のストレスも理解できるからこそ、ただ相手の言うなりに奴隷として応対するのではなく、共感と誠意を持って対応できるようになったと思います。
会社が嫌でうつ病になったり、人生嫌になる気持ちもよくわかります。全てを会社や社会のせいにして、卑屈になる人の気持ちもわかります。

そしてスピリチュアルに出会い、本当のところでは、人は何も上下はないし、自分の力で成し遂げられるものもないんだな と理解してからは、
やはりそれでも努力し、お客様と楽しく心から取引させていただける毎日をとても楽しいと感じています。

なるほどお客様を選ばず、苦労すればするほど、そしてエゴとしてのプライドを捨てるほど、己の視点だけではなく、お客様の視点、そしてそれを超えたいろいろな視点ができて、生きることが容易になりました。
この苦労の中で、多少のことでは落ち込まなくなりました。

いまでは、私の工場ではお応えできそうにないお客様は正直に他の工場でお取引を勧めることができるようになり、また、うちのこう場でなければ、と言ってくださって、いらっしゃるお客様ともお互いに楽しく人同士としてお取引ができて、人生を楽しんでいます。

しかしそれは、サラリーマン時代の一見無駄と思える苦労と、独立後数年間の無駄と思える無我夢中の(明日の米が買えないとか)苦労があったこその広がった視点が培われたからであろうと思っています。

いまでは一から築いてきた全てを失っても、また人生を楽しめるのではないだろうかと思います。実際なってみないとわかりませんが。

人にはなんの力もないですが、それと同時に、再び立ち上がり、自分なりの人生を展開していく力があることもわかったからです。
それはもしかすると、自分の力ではなく、自分なりの人生が展開されるなにかの流れなのかもしれませんが。

失敗するときは全力で失敗し、死ぬときは全力で死ぬが候

なのかもしれません。
宗教家は生かされている、とおっしゃいますし、
私は生きている、と思っていますが、
結局同じことなのかもしれません。
合掌の両手が合わさるところに、生と死があるように。
人生失敗したなら失敗したなりの素晴らしさがあることを、どん底を生きた際に学べたような気がします。
生きていても死んでも、成功しても失敗しても、いきいきと生きるのも、だらだら生きるのも、働き者もなまけ者も、どれでもいいのですが、せっかくなので私は全力で生きたいと思っています。

こちらのブログからも多くの視点を頂戴しています。
これからも応援しています。
Posted by 末末 at 2012年05月31日 10:59
みなさんコメントありがとうございます。

それぞれのコメントに共感したりすることがあればさらにコメントしてください。


ここはみんなで創る「コメント広場」ですから。



今、私は浜名湖畔のホテルにいます。

堀澤祖門師のご紹介で、
天台宗中部地区布教師会の天台僧侶の研修会に講師として招かれ講演を終えて、ほっとしているところです。

これから懇親会です。


人生は人と人との出合い・縁でどのように展開していくか分かりません。

ただ目の前の出合を大切にし、あとはお任せするだけです。
Posted by 孝ちゃん at 2012年05月31日 17:53
孝ちゃんこんばんは。

いつもありがとうございます。

組織の中で働くことの一番の悩みはやはり人間関係です。

違う意見なのは構わないのですが、上司の意見を押し付けられるとカチンとすることがあります。

そんなときは、同僚と愚痴を言い合っています(笑)

愚痴を言い合ったり、坐禅をしているうちに、小さいことは気にならなくなります。

愚痴を聞いてくれたら、お互いに「ありがとう」と言い合います。

そんな同僚がいることに、感謝ですね。


でも坐禅を始めてから、そんな上司も嫌いではなくなってきました!!
Posted by ヨダ at 2012年05月31日 20:10
こっさま こんにちは。みなさんこんにちは。

私は、自分で仕事をしている都合上、多分スタッフにお願い?をしている方です。《ヨダさんとは逆ですね。私が意見を押し付けている方です。《笑》



私が事業主なのですが、スタッフのほとんどが女性で、私より年上です。
そうなると、何か意見を伝える時にとても躊躇します。


相手を傷つけてしまわないか?へそを曲げて険悪にならないか?


でも、そのスタッフ達も、良いところを褒めた時に、またそれがうれしいからがんばる!というときもあります。


自分のいけない所を指摘されるのは、誰でもいやだけど、ほめられる(具体的に)それはOKだーーと行動に繋がるのかもしれないと、最近思います。


子育てをしていても、子供って叱られると、叱られる内容はあまり覚えてなくても、「お父さん・お母さんは僕の事が嫌いなんだ!」と見事に勘違いしてくれます。(これも最近分かった事です。だから子供には「何故叱られたのか」と「君の事がとても大切だから覚えてほしいんだ」と伝えました。



ああ。勘違い!
きっと、今も、これからもスタッフ・家族・もちろん自分にも勘違いのコミュニケーションを繰り返してしまうかも・・・
伝えることは、難しいですね。

これを書いていてちょっとすっきりしました。

ありがとうこっさま。みなさん。
Posted by としちゃん at 2012年06月01日 13:53
こっさま、みなさん、こんにちは。
大学を出てから、故郷にかえらずに働き始め、今年で10年になります。
その間に結婚をして、一人の女の子が私たちのもとにやってきました。
働いていて思うことは、自分の性格のことです。私は自分のことを優しい人間だと思っています。また、私に接する多くの方も私のことを「優しい人」と感じているようです。
それはつまり、人当たりが良くて、争いを好まず、周りと協調して行動をするというようなことなのだろうと思っています。
ただ、私のことをつまらない人間だと思う人がいたり、ヘマをした私をを責めようにも、毒のない私に対して強くでることが躊躇われ、言いたいことを言えないでしまっている人がいたりと、「私のこの優しさ」では、何かが足りないとずっと思って生きていました。10年間仕事をしてきて、お客さんに大変可愛がられ、会社からもこのキャラクターを評価して貰っている半面、人に強くでられない性格が災いして、値段の交渉が上手くいかなかったり、急かさなければいけない場面でそれを怠り、結果、納期を守れずにお客さんにも会社にも迷惑を掛けたりと、様々な「優しさ」故の害が起こってきました。
でも、人と多く付き合っているうちに、周囲の人にも愛着が湧き、人のため、自分のために、ここぞという場面ではしっかりものを言うことが出来るようになってきていると思っています。…やっぱり性格なのか、なかなか強くでられないときもまだまだ多いのですが(笑)
周りへの関心が、自分を変えてくれてきたんだなと思っています。だから、会ってくれた人に感謝、すれ違った人に感謝なんだと思います。
拙文失礼しました。読んで頂いてありがとうございます。何かに気付くきっかけになれればと思います。
Posted by ひのいろ at 2012年06月01日 16:33
こっちゃん先生、はじめまして!
阿部さんのブログから参りまして、以前から拝見させていただいておりました。

私が組織の中で学んだこと……
「その人の世界に照らし合わせたら、誰も間違ってはいない」
ということでしょうか。

実は昔「わたし尼僧になりたい!」と、某宗のお寺で3年ほど住み込みをさせて頂いていたことがありました。
そのお寺の住職様もご家族の皆様もとても優しい方だったのですが、普通の在家から飛び込んだ私と、代々お寺をされていた皆様との"常識"のようなものがあまりにも違うことが多く、当時、自分の理想に燃えていた私は、
「?????!!!!」
と、あまりのギャップにショックを受けて、少し「坊主不信」になっていたことが懐かしく思い出されます(笑)

結局いくつかの理由からお寺を後にすることになったのですが、いま思い返すと、お寺の人たちは普通にしてらしただけだよなー、それを私が勝手に反応して、「あなた方はおかしい!」オーラを出して雰囲気悪かったなーと、申し訳なかったり恥ずかしかったりです。

でもその経験のおかげで、それからどんな場所でいても、自分の価値観からは"理解できない"ような人に出会っても、「この人の生きてきた人生とか環境とかからなら、それは当たり前で自然なことなんだよね」と、自分が同意できるかとは別に、一方的にその人を問答無用の「悪人」に仕立て上げずにすんでいられます。

それでもイラッとすることもありますが(笑)これは一生モノのいい教訓を頂いたと思っています♪
長文コメント失礼しました!
Posted by あんちゃん at 2012年06月01日 21:06
はじめまして、寛彰と申します。

「なぜD社を辞めたか」を拝見させていただきました。

阿部さんのブログはみていたのでお名前は知っていましたが、導かれるようにはじめてブログを拝見させてもらう縁になりました。

スマートフォンではカテゴリが選べて、何気なしにこの記事を開いたところ、いまにぴったしな内容だったのでコメントさせていただきます。

私は現在もサラリーマンをしています。

昔は工場の技術系の仕事をしていました。
猪突猛進、あのときはそんな言葉がぴったりだと思います。

そんなあるとき、心がポキッと折れた状態になりました。
その後、気づきの経験をし、少しは柳のように娑婆の喧騒をかわしながら仕事をこなせていたと思います。

しかし、まだまだ自我がこびり付いており、その自我を無くすための現象はピンポイントかつジャストタイミングで起こり続けました。
気づきの経験がなかったら、あと何回ポキッと折れていたかわかりません。(笑)
僕にとって瞑想はヒーリングでありました。

そんななか、仕事中にこのようなメッセージをもらいました。

「自分を思い出し、自分が何者であったかを思い出したなら、

いまここで生きなさい。

自分が神であると理解したなら、

神として生きなさい。

あなた(自分)を生きる必要はない。

本来の姿で生きなさい。

そうすれば、この世にいようがあの世にいようが同じこと。

あとは魂で楽しく遊びなさい。」

自分のブログでも書いたことなのですが、このメッセージを受けた後は一気に自我がなくなり、あれほど喧騒に満ちた娑婆の世界でいまここの状態になりました。

そして気づきの経験や瞑想状態などからみると更に大きく、そして究極的に無である状態でした。

どこにいても私たちは悟っている。

私は気づきの経験を得てから、娑婆の喧騒世界でそのような状態になるのかどうかの実験といいますか・・なんだかそうなるような気がしていたため、会社は変わりましたがポキッと折れた後も同じ世界に飛び込んでいきました。

どこにいても私たちは悟っている。

いまの娑婆の喧騒世界で生きている人たちに、微力ながら僕なりに今後も魂が楽しくいまここであることを発信して生きたいと思います。

特にオチもなく長い文章で申し訳ありません。
二年前以上の記事ですがコメントをお寄せくださいの一言に何かコメントしたいとの感情が芽生え、甘えさせてもらいました。

この御縁ありがとうございました。

でわ。
Posted by 寛彰 at 2014年07月08日 19:48
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