南無阿弥陀仏(ナムアミダブツ)

カテゴリー │坐禅入門

幸福とは、自分が一隅を照らす光源・灯となることです。

坐禅はそのような、あるがままで安らかでハッピーな
「光のうちに坐る光」である自分に帰ることです。


坐禅とともに、お念仏も自らが光となる道です。

「南無阿弥陀仏(ナムアミダブツ)」と一心に唱えることで
阿弥陀仏の光に包まれ自分も光となるわけです。

阿弥陀というのは、梵語のAmitabhaの音写で、

無量の光、無量の寿(いのち)の意味があります。


つまり、「南無阿弥陀仏」は、一切を包摂する限りない光・命に身も心も投げだし帰依するという意味です。


高齢になり体が不自由になると、坐禅もままならないでしょう。

「南無阿弥陀仏」なら、寝ながらでも唱えられるし、
短いからボケても忘れないと思います。

ですから、私は坐禅をする時、
最初に心で何度か「南無阿弥陀仏」と唱えています。


坐禅とお念仏。

これで、いつお迎えがきても大丈夫というわけです(^▽^)





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この記事へのコメント
あははははは。

お迎えかあ。家のお袋におしえてあげなきゃ。

無量の寿(いのち)は、寿と書くのですね。

そうか!おめでたいんだ!いのちって!!!

なぜか、バカみたいにうれしくなってきました。

孝ちゃんありがとう。

さあ!これから仕事!がんばんべ”
Posted by としちゃん at 2012年03月17日 08:52
南無阿弥陀仏ですか
日々の瞑想にとりいれてみますね
まだわたしは座禅と瞑想の区別ができてないです
以前の記事を読ませてもらってもなんか体感できないというか
まあそのうちそのうち  という感じです
Posted by たこ at 2012年03月18日 17:45
南無阿弥陀仏
Posted by 品玄 at 2012年03月19日 22:10
こんにちは!

南無阿弥陀仏、何度も聞いたことがあっても、意味を知らずにいました。

>一切を包摂する限りない光・命に身も心も投げだし帰依するという意味です。

なるほど!

これも、一年前に意味を知ったとしても、今でこそわかるようになりましたが、一年前でしたら表面的な意味でしかとらえることができなかったと思います。

知識としては入ってきましたが、そういった気持ちでいることはなかなか・・・。(笑)
Posted by 田島 at 2012年03月21日 11:37
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