みんなで語ろうーいまここ哲学広場①

カテゴリー │みんなで語ろうーいまここ哲学広場

「3人よれば文殊の智慧」という言葉があります。

自我のとらわれから離れること、無我であることが真実に生きることだと了解できていれば、自分の体験や意見に固執することがなくなります。

そうなると、それぞれに違った人生経験による話や意見は、お互いの共有の宝となり、より素晴らしい智慧が創造できます。

まさに「3人よれば文殊の智慧」ですね。


『みんなで語ろうーいまここ哲学広場』も、

そのように、
お互いの宝を出しあって共有し学び合う「文殊の智慧の場」にしましょう。



今回のテーマは、

深くいまここを生きることで、「ああ有り難い!幸せだ!」と実感した体験です。

そんな時は、自分という意識も時間もない「永遠のいまここ」だろうと思います。

忘れているかもしれませんが、皆それぞれにそんな体験があるのではないでしょうか…。

みなさんの体験をコメントにおよせください。



さて、孝ちゃんのばあいは、

鮮明に記憶に残っている体験が、いくつかありますので紹介しましょう。

すでにブログでお話しした学生時代の二度の臘八大接心を無事終えた時です。

実は二度目の臘八大接心のあと、好きだった彼女を無理矢理キャンパスから連れだして大学の裏山でデートしたのです。

私が一方的にただ話して、彼女が幸せそうに聞いてくれていたというだけですが。
でも、あの時は本当に時間が止まっていましたね(^▽^)

ただし、彼女とはそれっきりです。


それから、D社に勤務していた頃です。
独り暮らしをしていた神戸市灘区のアパートから山手の方へ散歩していた時です。

雨上がりの林間の道をサーッと太陽がさし、蒸気が陽炎のように立ちのぼり息をのむような美しさです。

すると、まるで異次元の空間に入り込んだような不思議な感覚につつまれました。

そして、「ああ!ここだったんだな」という心の底からの了解がありました。
「原初の地平に降り立った」という感じです。


ほかにもありますが、今回はこのぐらいにして、
みなさんからのコメントをお待ちしています。



7月18日【追伸】

素晴らしいコメントありがとうございます。

もともと、誰もが「原初の地平・悟りの地平」に生かされてあるのですから、

それぞれの人生の途上で、

本来の自分に帰り「原初の地平・悟りの地平」に生かされてあるという気づきをされているのだ感じました。

さらに、体験談や感想をコメントでおよせください。



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この記事へのコメント
こっさん、ご提案ありがとうございます。

私は月並みですが、
満開の桜の下にいる時、
秋の紅葉の桜や銀杏の木の下にいる時、
「本当に幸せだなあ」と思います。
春は、その下にある花びらを集め、
秋は、落葉を集めてしばらく楽しみます。

その時だけは、イヤな事も忘れて、
ぼーっとできます。

公園の木や、山の木々を眺めてるだけでも、
けっこう我を忘れて自然にひたる気持ちになります。
植物というのは、人を癒す力があるのかもしれませんね。
Posted by Pika at 2012年07月15日 22:10
かなり、稀ですが、よく寝た朝、思考があまり動かない時があります。
ただ、ぼーっとしているのではなく、感覚は鋭敏です。
その時、自分なりのいまここを感じます。
なつかしさみたいな感覚です。
もしかしたら、このまま、悟るのではないかと感じるときもあります。
その後、時間とともに、思考が動き出し、普通の状態になります。
座禅で、こういう状態を作り出したいのですが、めったに実現しません。
Posted by 風に揺れる葦は道士 at 2012年07月16日 11:41
お久しぶりです。
子供達を連れて、帰国していました。
病気の父も想像していた以上に元気で、安心しました。

こちらに戻り、義両親と庭を散歩していました。
彼らの庭はとても美しく、ただそこに一緒にいられることに幸せを感じました。
お義母さんに「あなた達がただそこにいることに感謝しています」と伝えたら、彼女も私の気持ちを感じとってくれました。
気持ちが一体になりました。

その後、息子も連れて、近所の森へ散歩に行きました。
野の花が咲き乱れる野原をかき分けて進みました。
ふと立ち止まり、美しい自然に心打たれました。
その場で、私は野原の一部だったと思います。
というより、自分はそこに居ませんでした。

色々あるけれど、今、私はここで、幸せを感じることができます。
できないときもあるけれど、そういう瞬間があることに感謝しています。

合掌
Posted by 雅蔵 at 2012年07月16日 17:53
あれはいわゆる見性体験だったのでしょうか?


自分では判断できる材料がないのですが、しかしそれは非日常的で超越的な体験でした。

大学時代、様々な出身地の様々な仲間と十数名でお酒も入った食事を共にしていた時の出来事です。


全体が活気に満ち団欒の空気に包まれていることを、幸せな気持ちで少し輪の中から外れた所から眺めていました。

ホロ酔いな気分も手伝いその空間がとても居心地よく、そしてここにいること、ここまでこれたことがなんて有難いんだろーと感じながら、ぼーっとしていたその時、

それまで感じていた幸せな気分の、
その何倍もの幸福感が大波の様に押し寄せ、瞬く間に飲み込まれてしまいました。

その時のハッキリとした記憶として残っていることと、その後出会った表現でピタリと一致したものがあります。

「自分はいない」というものです。


その波に飲まれた僕は、表現するのが困難なほどの至福感に包まれながら輪の外から見ているワタシではなく、団欒のある「その場」と化していました。


これは一体なんだったのでしょう??


ちなみに宇宙を理解したとか、神と一緒だったとか、全てはひとつだったとか、自分の命があったんじゃなく、自分が命だったとか、そういう表現はピタリとこず、様々な覚者が異口同音に語る内容に当てはまらないことも多いと感じています。


当時僕はこの体験を、【喜びの最上級】と名付け、
日常的に、そして誰にも起こり得ることだと理解することで、自分史上未曾有の出来事への興奮を落ち着けていました。

また、エゴトリップという表現に出会ったときも、
あぁこれもあの体験を説明する有力な手掛かりだ!と感じました。

他にもその体験程ではないものの、押し寄せる喜びの波の様なモノにのみこまれ至福に包まれる瞬間があります。


現時点からのまとめとして、
感謝や、気の抜けた瞬間がこの感覚に陥り易いと考えています。


皆で共有する場での長文と個人的な未消化なモノへの問いをお許し下さい。
Posted by yan at 2012年07月16日 21:25
こっさま、皆様、こんばんは。

私の幸せの時間は、月並みですけど生後11ヶ月になる娘と過ごしている時です。

日中は働いているので子育ての苦しいところは妻に任せていいとこ取りの感じがしますが…

子育てが終わった周囲の方からは子供は抱ける時に抱けるだけ抱いておけとアドバイスをよく受けるのでそこは心がけていますが、昨日と今日、気が付いたことがひとつ。

近所のジャスコ二店舗に連日出かけたのですが、何十もの家族連れを見かけましたが、父親が子供を抱いているのは娘ばかり‼娘でもカートに乗せてる方も大勢いましたが、息子は母親が抱いていたり、カートに乗せてたりでひと組も父親が息子を抱いてる姿は見ませんでした。

こっさまは、お子さんが小さい時、息子さんと娘さんで接し方が異なりましたか?
Posted by むらてつ at 2012年07月16日 21:43
こっさま みなさまこんばんは
わたしが体験した幸せは
緑のなかを歩いていた時でした。
いい天気の穏やかな日。
なんにも考えず、のんびりのんびり歩いていたら
突然、あー幸せだなぁという気持ちがこみ上げてきて
ありがたい有難いことだなぁと涙がどんどんあふれてきて
ただただ感謝
そんな感覚でした。
Posted by liebe at 2012年07月16日 22:32
学生時代とある創作系サークルにに入っていましたが、
いろいろあって精神的に疲れてしまいました。
何もやりたくないと思うくらいに。。。

でも気持ちが落ち着いて、友人たちと語らい、また1人で
作品に向かうその時々が、つらいことを忘れさせてくれる
何よりも尊い時間でした。

仲間と土地に対する、確かな感謝の気持ちがありました。
それが卒業制作の完了とともに最高潮に達し・・・

もう何もいらぬと、
「いまここ」に帰る事ができました。

それは作品集を作り上げた帰りのバスの中でした。
あのとき窓から差し込んでいた西日の輝きは、
今でも、人生の中で最も鮮やかに、心に焼き付いています。
Posted by IV at 2012年07月17日 00:08
レストランで接客をしていたときに、来てくれた家族連れの中の3、4歳男の子と、少し楽しく会話する時間があって、食事を終えた男の子が、別の場所で仕事してた僕を両親に言ってわざわざ探してくれて、「おいしかったよ!絶対またくるね!(^-^)/」って何回も何回も振り返りながらバイバイって手を振ってくれまして。そのとき、「ああ、おれはこの瞬間のために生まれてきたんだ。。」ってそれまでの人生で初めて心からそう思えました。後から後からハートに溢れてくるあったかーい感覚に、なんって幸せ者なんだろー、なんってありがたいんだろーって、叫び出しそうな気持ちで接客した記憶があります。その男の子とはそれっきりだけど、ほんとにニクいプレゼントをくれたナイスガイでした。
Posted by 玉岡宏章 at 2012年07月17日 21:14
こんばんは。

僕は今年の春です。
仕事も決まっていなくて、無気力になってしまって、軽く鬱のようで、よく近くの都立公園を散歩していました。
毎日のように散歩しに行っては森の中を歩いていると、何も考えずに歩くことができていました。
そして、ちょうど桜が満開の頃、思うままにあっちに行ったりこっちに行ったり舗装路を外れたりして、帰ろうと思った時に、
「いつも癒してくれてありがとう。綺麗な桜見せてくれてありがとう。また来年も待ってるよ。」
と心の中で感謝しました。
とその瞬間に、背中の方から風がうわっと吹いて、自分の前に見事に桜吹雪を起こしてくれました。
本当に綺麗で、胸の奥の方からなにかがグワッと込み上げてきそうで、涙が出そうになりました。

僕はまだ見性というのはしていませんが、この時は神様はいるかもしれないと思いました。

長くなってしまいましたが、僕は自然、特に森の中だと無になって神様と共にいられる気がします。
Posted by まーさん at 2012年07月17日 21:53
>「ああ有り難い!幸せだ!」と実感した体験です。

最初に謝っておきます!
下品ですみません!!

おトイレもないような田舎の場所で急激にお腹が差し込んで…真っ青になり!(◎_◎;)

ついにこの歳で、外で漏らすことになるのかしら?…と青ざめながら諦めかけて、偶然見つけたお寺の中に運良くあったトイレに駆けこんで…。

ついでにありがたいことにトイレットペーパーなんかもあったりして…。

ああ、ありがたや!

神様、つい先ほどまで不平不満をもらしていた私は間違っておりました!

この有難さを噛み締めて生きていきます!!

…と、この手のことはよくあります〜(^_^;)
Posted by mitsu at 2012年07月17日 23:20
毎日、犬の散歩で電線も無い田んぼの中を歩きます。
空を見て、山を見て、森を見て、深呼吸。

季節ごとに変わる空の色、山の表情、森の様子。
晴れの日も、雨の日も、吹雪の日も、それぞれ美しくて。

仕事や人間関係でどんなに疲れても、
美しさに疲れが吹き飛びます。

昨年の震災の後、春が来て
緑が芽吹き、虫が出てきたときは、
それこそ草一本、虫一匹に至るまで
「みんな生きててよかった!ああ有難い」
と、何もかもいとおしく、幸せで、涙が出ました。

みんなも、私も、全て合わせて「世界」なんだなあと
その時ほど思ったことは無かったです。

この美しい世界に生かされていることに心から感謝します。
Posted by うみねこ304号 at 2012年07月18日 20:04
ある日、公園でボーっとしていたら、徐々に自分の中のワクワク感が大きくなり、そして自分の殻から溢れだしました。

すると、目に見える全てものが息づいている感覚が迫って来ました。

まさに全てに、生命が宿っている!それは木々や鳥、虫だけでなく、ベンチも風もビルも、ペットボトルも、犬の糞でさえも生命が息づいているんです。

その生命はまさにひとつの命。あらゆるモノはその生命の息吹であり表現だったとありありと感じました。

強烈な至福感と身体を突き抜ける強烈なエネルギーを感じ、すべてのものとの一体感を感じました。
Posted by taku at 2012年07月18日 20:08
つい先日、神戸の小さな川、都賀川でボケーっとしてました。
すると急に惑星を越えました。
それは、己がいかにちっぽけな存在か、というのを知る為に充分過ぎる体験でした。
普段、自分を特別な存在として足掻いていた証拠です。
だけど、次の瞬間、
目に映る人々を見て、
みんな同じ、という気持ちが溢れなんだか心強くなりました。
死ぬ迄は、この身体でみんなと今を楽しもうと思いました。
Posted by やっちゃん at 2012年07月19日 05:13
こっさま、皆さま、はじめまして!

私は俳句が好きで
特に草や虫など自然を詠むのが好きです。

何年か前に公園の池にいるアメンボを
俳句に詠もうとじっと見ていました。

じーっとみていたらふっと自分がアメンボになって
水を思い切りかいている感覚になりました。

その時です。
ものすごい爽快感と幸福感でいっぱいになりました。

対象との一体感はその後もありましたが
そのアメンボが最初だったので
今でもはっきりと覚えています。
Posted by sasuke at 2012年07月19日 12:40
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