坐禅入門①

カテゴリー │坐禅入門

2月1日のブログでお知らせしたように、19日午後2時より「信行社in祥光寺“坐禅入門コース”」を行います。

そこでしばらく「坐禅入門」と題して、坐禅の仕方についてお伝えします。
YouTube動画で映像配信もする予定です。

まず、坐禅と瞑想の違いについて明らかにしておきたいと思います。

私は、坐禅を広義の瞑想ととらえていたことがありますが、この頃は、坐禅と瞑想は区別してとらえるほうが良いなと思っています。
以下はあくまでも私の体験的な理解です。


『広辞苑』によると、
坐禅は“静座して精神を集中する行法”。
瞑想は“目を閉じて静かに坐ること。現前の境界を忘れて想像をめぐらすこと”とあります。

一応両方の違いを知る参考にはなりますが、これだけではよく分かりません。


私なりに定義すると、

坐禅は、結跏趺坐(けっかふざ)あるいは半跏趺坐(はんかふざ)の坐法・スタイルで禅定を修することです。
ですから、禅定を修してさえいれば、スタイルはイスに腰掛けていても、立っていても、歩いていても良いわけで、イス禅、立禅、歩行禅、そして坐禅とあることになります。
その中でも坐禅は、ブッダがそうであったように徹底して禅定を修する基本の行と言えるでしょう。

それでは、禅定とはどんな状態のことかと言うと、
あれこれの思いの働きが止み、ほっこりと安らかな心の状態に落ちつき、
天地宇宙に解放された朗らかな、あるがままをあるがままに受けとめている状態と定義できるかと思います。
その極致が、天地宇宙の大生命と一つになった境地で、
「天地と同根、万物と一体」と言われるところです。

しかし、この状態は何も特別な境地ではなく、あるがままの地平に立つということです。
私たちが思いの世界にとりこまれて脚下のあるがままの地平から意識が遊離しているだけです。

誰でもあるがままの地平に生かされて生きているし、自覚しなくても無心にその地平にほっこりとしていることがあるはずです。

ですから、誰もが、あるがままの地平・大道のただ中に生かされて生きていることを先ず信じ切ることです。

「生かされて」ですから、誰の背後にも宇宙意思が神意が働いているのです。

生きる秘訣は、その宇宙意思・神意を信頼して身も心もゆだねること、すなわち「南無」の帰依の心です。

坐禅の「禅定」も、自力の果ての他力と言えます。

身も心もゆだねる絶対の受容体・無の器になるための準備としては自力ですが、
到るところは「身心脱落(しんじんだつらく)」の身も心もガッサーと脱げ落ちた他力です。


話が飛躍するようですが、
剣禅一如の達人・大森曹玄老師は、剣道の極意を表すものとして仙台地方の民謡『さんさ時雨』の歌詞を紹介されています。

     “さんさ時雨か萱野の雨か 音もせで来て濡れかかる”

「音もせで来て濡れかかる」ですから、むこうから気づかないうちに訪れる、

と言うより、いつも訪れているのです。


今日、阿部さんのブログを拝見すると、花岡修平さんの素晴らしい体験談が紹介してありましたね。

まだ見てない人は、是非見てください。


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この記事へのコメント
こっさん、いつもありがとうございます。

いまここの花岡さんの素晴らしい体験を読み、風のたよりを読み、内容がシンクロしていて、嬉しくなりました。

いま現在の状態を絶対的信頼で生活していこうと、強く決心しました。

これからもご指導をよろしくお願いいたします。
Posted by S at 2012年02月17日 16:52
こんばんは!

おっさまのブログと阿部さんのブログは毎日巡回致します(笑)

今日のいまここの花岡さんの素晴らしい体験。本当に感動しました。

人を揺さぶる説得力がありました。

今、花岡さんのような方は多いと思います。

自分を責めたり、現状を恨んだりすることもあるでしょう。。。

でも、花岡さんのようにやるだけやって後はお任せします!の

境地になると真の救いが訪れるように思います。

なので、皆やはり自分を信じて今を生きる事が大事なんだなぁと

花岡さんの投稿にとても説得力を感じました。
Posted by kazuko(さり改め) at 2012年02月17日 19:58
YouTubeたのしみにしてます!
座禅会、関西でも、してくださいませ♪

毎日、どちらのblogものぞかせていただいてます
いつも、うらしいのです
ありがとうございます(*´∇`*)
Posted by ともみ at 2012年02月17日 21:40
花岡さんの話を読んで、「南無阿弥陀仏」の意味がようやく実感できました
Posted by しの at 2012年02月17日 21:57
とても、楽しみにしています。

臘八のお話は、自分の自己流座禅にとって、参考になりました。
Posted by 風に揺れる葦は道士 at 2012年02月18日 06:44
明日、初参加しますので宜しくお願いします^^

花岡さんが体感して体験したことってすごいですね。

向さんのお話も楽しみにしております。

宜しくお願いします。
Posted by てんつく at 2012年02月18日 12:30
いつも、ありがとうございます。
東京の阿部さんとのコラボ講演の時に、延命十句観音経を配付して頂き
その時意味も教えて頂いたのですが、毎日お経を上げていますが
意味不明な部分もあり、大変恐縮ですが、もう一度
「延命十句観音経」の解釈を教えて頂きたいのですが・・・。
宜しくお願い致します。
Posted by きりん at 2012年02月18日 12:45
素晴らしい  瞑想と座禅の違い  以前から気になっていました ありがとうございました
Posted by たこ at 2012年02月18日 15:42
こっさま、ご無沙汰していますm(__)m

禅定の定義が、とてもわかりやすかったです。

「天地宇宙に解放された朗らかな、あるがままをあるがままに受けとめている状態」
そして、「自力の果ての他力」

私の最近の日々のテーマは、「死にきる」です。
それくらいに思っていないと、私の自我(思考)はおさまらないのです(笑)
しばらく、阿部さんやこっさまのブログも離れて、自灯明の生活をしてみようと思っています。

そして、いつかは、こっさまのように 「自我って本当にあるの?」の境地に
達したいな~っと思っています\(^o^)/

まだまだ、寒い日が続きますが、お体にお気をつけてお過ごしくださいませ。

ありがとうございました。   合掌
Posted by そら at 2012年02月18日 16:13
 こっさま、おはようございます。最近は少しずつ日が長くなり、
寒さは相変わらず厳しいですが、早起きも大分楽になりました。
(早起きと言ってもこっさまに比べれば遅いですし、娘に
起こされる事も多々あります(苦笑))

 いよいよ今日は座禅会ですね。普段仏門になじみの薄い
私からすると難しそうだなぁと思う反面、よく新聞等で幼稚園の
子たちが座禅体験などをやっているのを見ると幼稚園の子たち
にできるのだから私にも出来るだろうと思ったり、いやいやまだ
純粋な心を持った子たちだからこそ呑込みが早いのでは?
といろいろ思ってしまいます。

 禅定・・・いろんなスタイルで出来るのですね。一番は座禅
なのでしょうが、こっさまの考えに基づくと、少し座禅に対する
自分の中のハードルが下がりました。

 動画も配信の予定との事なので楽しみです。

 追記:こっさまは私の父と同年代なのですが、動画配信など
パソコン関連に長けていて凄いなと思います。私の父は所謂
テレビ、ビデオ等旧来の家電や車、バイク等のいじりは得意なの
ですが、パソコン関係はまったくダメなのでここのブログを
拝見する度、こっさまはそういう意味でも凄いお坊様だと
感じています。
Posted by むらてつ at 2012年02月19日 05:37
初めてコメントします。和尚さんのブログは、白ご飯のようです。
飽きがきません(^-^)/
Posted by 空也 at 2012年02月19日 22:46
おはようございます。

昨日は、とても充実した時間を過ごすことができました。ありがとうございます。

和尚さんのお話で東郷平八郎の「超リアルに生きていた」がとても印象深いものでした。

そして何より向和尚さんにお会い出来たことがとても嬉しく、喜びに生きる在り方を拝見させていただいたことが良かったです。

次回は参加出来そうにありませんが、また機会を作って参加させていただきますので宜しくお願いします。

それまでに体を伸ばしておきます(^^;)
Posted by てんつく at 2012年02月20日 09:30
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