僧堂生活①

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食事五観(しょくじごかん)

一つには功の多少を計り、彼(か)の来処(らいしょ)を量(はか)る。
二つには己が徳行の全欠(ぜんけつ)を計って供(く)に応ず。
三つには瞋(しん)を防(ふせぎ)、過貪等(とがとんとう)を離るるを宗とす。
四つには正に良薬を事とするは形枯(ぎょうこ)を療ぜんが為なり。
五つには道業を成ぜんが為に当にこの食(じき)を受くべし。

(意訳)
一つには、この食物が、水や空気や太陽や大地の恵みと、お百姓さんや料理する人など多くの方々の労力によって食卓に運ばれてきたことを思い感謝していただきます。
二つには、自分の日頃の徳行について反省する縁とします。
三つには、貪・瞋・痴(とん・じん・ち)の身心をむしばむ三毒の煩悩を離れることをむねとします。
四つには、健全な身体を保つための良薬としていただきます。
五つには、自分の本来歩むべき修行の道を成就するためにいただきます。


コメントで食事について質問がありましたので、今回から食事その他、禅の専門道場、僧堂での修行について紹介しましょう。
みなさんの日常生活に、その精神を活かしていただければ幸いです。

私たち禅僧にとって、僧堂で修行した日々の生活が原点であり、僧堂を離れ住職となってからも僧堂で修行したように日常生活を行うのが理想ですが、一般社会の中で家族と共に寺で生活していると、つい自由気ままになってしまいます。
少なくとも僧堂の修行の大事な精神だけは忘れないよう、自分で自分の生活を律するセルフ・コントロールが大切だと思っています。

僧堂の生活は、霊性的な、スピリッチャルな本当に充実した生活の見本みたいなもので、しばらく僧堂で修行したドイツの兄弟弟子は、「人類の宝だ」とまで賞賛していました。


理想的には2,30人の修行僧・雲水が共同体(サンガ)を形成して共に切磋琢磨し修行しているのが禅の専門道場・僧堂です。
僧堂の生活は、朝起きてから寝るまで一日中、すべてが真理を体得するための修行として、特に身と心を一つにする禅定の身心学道として完成されたシステムです。

その中でも食事については、作るほうの料理当番・典座(てんぞ)の修行は重要で、道元禅師は「典座教訓」という書を著しているほどです。
食事をいただく大衆にとっても、大切な修行の場であって、大勢の雲水がお経を唱え、音もたてずに沈黙のうちに作法にしたがっていただく様子は、「三代の礼楽、ここに極まれり」と言われたほどです。

先輩の雲水から「沢庵をかむ音もさせるな」といわれ、作法に慣れるまでは大変ですが、茶道と一緒で実に合理的にできていて、一年も僧堂におれば楽に出来るようになります。
ただし、うどんやそうめんの麺類をいただくときだけは、音をだしてみんなで一斉に「ズーズ」とやります。
うどんは一番のご馳走で、一斉に音をだして食べる、これがまた爽快なんです。


今回は、食事をいただく時に読むお経の一つを紹介しました。

大切なことは、食事は貪るものではなく、真理を体得する行そのもとして、またその糧、エネルギーとして、感謝の心をもって、まさに他の命を「いただく」ということでしょう。

暖房もない冬の底冷えのする明け方の食堂で、お椀に供された暖かいお粥を、凍える両手でその温もりを感じながらいただく、喉ごしから腹に入る満足感。本当に食事をいただく喜び有りがたさが感じられます。


【コメントをいただいて】
由未さん、コメントありがとうございました。お陰で、しばらくブログが気楽に書けます。

Mさん、よかったですね。私は神さんではないので、どう返事していいか分からなかったけど
クオレさん、ありがとうございます。
コメント欄が、みんなの情報交換の場になれば助かります。

蓮華さん、気軽に祥光寺をお尋ねください。

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この記事へのコメント
こんばんは…。

お久し振りです…。

向さん、その後、お元気で、お過ごしですか?。

懐かしいですね…『食事五観』。方広寺での『ワークショップ』を体験した時には、必ず食事の際に、研修所で『食事五観』を唱えました。

自分の家は、曹洞宗なのですが、同じ禅宗でも、曹洞宗では、『食事五観』について、耳にしたことは、今までに記憶がありません…。

なぜなのでしょうか???。


さて、今、こちらでは、ホタルが家のまわりに飛び交っていて、梅雨とはいえ、なかなか、いい季節です。

田植えの作業も、2週間ほど前に、すべて、終わりました。

今年の秋も、“新米(キヌヒカリ)”を送らせていただきます。

どうぞ、お楽しみに…。

また、方広寺で、向さんや阿部さんに会いたいです…。


失礼いたしました。



    感謝
Posted by “永遠輝く、愛のエンジェル”参上!!! at 2011年06月08日 21:18
永遠輝く、愛のエンジェルさん、お久しぶりです。

いつも、美味しいキヌヒカリありがとうございます。

ホタルが家のまわりを飛び交っているなんて、最高ですね。

そんな風景、奥山でもよっぽど奥に行かないと見れません。


そのうち、方広寺で「いまここ塾」のウイークエンド接心を開催しょうかと思っています。

その時は、是非参加してください。
Posted by こっさん at 2011年06月08日 21:57
>しばらくブログが気楽に書けます。
よかったです。少しでもお役にたてて。^^

食事一つでもすごいんですね。びっくりしました。
すきあらばすぐ楽したい私としては(笑)、僧堂の生活なんてできそうにありませんが、一度でも体験したら日常のすべてに対する感じ方が変わりそうですね。
特に料理を作る側が大切とのこと、一応主婦の私としては少し覚悟がいりそうです。
道場では精進料理だけでしょうが、たまたま昨日夜主人が釣った魚をもらってきてて私がさばくことに。
まだ生きてて、もうかわいそうで、何で私がこんな事しなきゃいけないいんだって思いながらも、おこぜは唐揚げに、メバルは煮付けに、ハギは刺身に、うろこと内臓以外は全て無駄なく調理でき、主人も子供達もおいしく頂きました。
すると、なんだかよかったなぁって思えて、命を無駄にすることなく感謝するって、こんな事なんですかね。
私はお肉は食べれませんし、お魚も少しだけ頂きますが、たくさんの命を頂いていることに変わりありません。 これからは、いまここの修業のひとつとして料理も食事もこだわりなく糧として、感謝しながら励んでいきたいと思います。 今回も大変くわしくありがとうございました。
これからもブログ楽しみにしています。
Posted by 由未 at 2011年06月08日 23:37
 おはようございます。

 『食事五観』なんだか難しそうな言葉だなぁと思いましたが、意味を
聞いて、当たり前の事(自分が出来ているかは別として)で大切な
事と分かりました。食事の際、少し意識して過ごしたいと思います。

 今後数回にわたって修行の様子がシリーズ化?されるみたいなので
普段なかなか接する事のない世界を知れそうで楽しみにしてます。

 向さんにひとつ単純な質問なのですが、HNの「こっさん」とは「こっ」に
さんを付けたものなのでしょうか?それとも「こっさん」自体がHNで
こっさんさんとお呼びするのが正しいのでしょうか?失礼があっては
いけないので、質問させて頂きました。

 追記:向さんに御経を読んでいただいたので妻のお腹の子は順調に
9ヶ月目を迎えています。ありがとうございます。
Posted by むらてつ at 2011年06月09日 06:10
はじめまして
阿部さんのブログ経由で参りました。

食事とは、命のエナジー(関わった人々の労力や思いなども含めて)をいただいて健やかに生きる力をいただくことなんですね。
色々と便利な環境にいると忘れがちですね。
気を付けます。

話しは変わりますが
小学生の頃、夏休みのラジオ体操前に近所の子供らとお寺で座禅をし、お経を読んでました。
あの頃は意味もよく分からず座ってましたが今よりずっと「いまここ」を生きていたと思います。変わってないのはお寺の雰囲気が好きなことくらいですかね…

それでは失礼いたします。
ありがとうございました。
Posted by コーディー at 2011年06月11日 15:53
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