分別と無分別

カテゴリー │仏教・禅思想

     「分別と無分別」

お釈迦様が何を悟ったかといえば、

分別は非実であり、無分別が真実であるということです。

無分別とは、自我の思考なしに「あるがまま」を受容することです。

分別・思考が悪いわけではありません。
思考や価値観にとらわれず、
仮に「こう考えてみよう」という達観があればいいのです。
そのような達観は、無分別がベースにあって初めて可能になります。
分別という雲の背後に限りない大空が広がっているようなものです。

無分別は心のベースですが、
無分別のありのままを受容するおおらかな心だけでは、社会のただ中で生きていけません。
良かれ悪しかれ世間やその場の大勢に流されてしまいます。

社会をより良くするため、建設的・創造的に関わっていくには、
方針、コンセプト、段取りなどの分別・思考を明確にすることです。

現実社会のただ中で、
「分別⇔無分別」と自由に行き来しながら体究錬磨することが、
胆識(決断力、実行力を有した見識)を養う道です。

法話や講演で「うまくいったな」と思える時も、
よく分別して、話の筋道やポイントを明確にし資料もしっかりと調べておいて、
本番ではそれらを忘れて、「あるがまま」のその場に溶けこんで無分別に自由に話すのが秘訣だと実感しています。

そうすると、脱線することが多いのですが(^_^;)




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この記事へのコメント
無分別は心のベースですが、 無分別のありのままを受容するおおらかな心だけでは、社会のただ中で生きていけません。 良かれ悪しかれ世間やその場の大勢に流されてしまいます。

流されてしまうような無分別は本物ではないと思います。
無分別、人の本質は何も語らなくても、何もせずとも
無為そのものが、まわりを自ずからなる流れに変えていくものと思います。
何かがうまくいく、行かない・・分別に捉われた上でのことかと。
分別を離れきったところこそ、無限大の働きが現成するのではと思います。
Posted by コキア at 2014年10月23日 11:13
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