ああそうか

カテゴリー │仏教・禅思想


駿河に過ぎたるもの二つあり、富士のお山に原の白隠”と呼ばれた白隠禅師(1686~1768)にこんな逸話があります。

原宿(現在の静岡県沼津市原)の松蔭寺に住職していた時のことです。
あるとき、村の娘が父なし子を産みました。
娘の父親は、だれの子かと問い詰めましたが、娘は頑として相手の男の名を言いません。
しかし、とうとう耐えきれずに、白隠さんの子だとウソをついてしまいました。

父親が日ごろから敬愛している白隠さんの子であれば、許してもらえるだろうと思ったのでしょう。
もちろん、白隠さんには身に覚えのないことです。
娘の言葉を信じこんだ父親は松蔭寺に駆けこむや、
「この生グサ坊主!よくも娘をキズものにしたな。お前の子だ、受けとれ」と怒鳴りながら赤ん坊を突き出しました。

白隠さんは何の言い訳もせず、
「ああ、そうか」と赤子を受けとりました。

翌日から白隠さんは村中を「もらい乳」して歩き回りました。
それまで、高僧として尊敬されていた白隠さんですが、その日から一転してとんでもない破戒僧とさげすまれ、弟子たちはもちろん信者も離れていきました。
それにもかかわらず白隠さんは悠然ともらい乳して歩き、赤子を親身になって育てます。

白隠さんのこんな姿に当の娘のほうがこらえきれなくなり、ついに父親に本当のことを白状しました。
驚いた父親は、さっそく白隠さんに非礼をわび、赤子を返してほしいと恐るおそる申し出ました。

このときも白隠さんは、
ただ「ああ、そうか」と言って赤子を返したそうです。


さて、「超自覚」はいまここのあるがままの地平に帰ることです。

あるがままの自分と周りの人や自然を、
あるがままに「ああそうかーウエルカム」と受容することです。

迷いは、
世間やまわりの世界を自我の思いで動かそうとするところに生じます。

何事も大肯定して、
「ああそうかーウエルカム」と「世界が世界する」地平におまかせすること、
すなわち、サレンダーして自己において死に、
自我意識をすて宇宙意志に随順することです。

一呼吸一呼吸、
自己において死に、宇宙意志において蘇るのです。

白隠さんの「ああそうか」は、今も宇宙に鳴り響いています。


  • LINEで送る

同じカテゴリー(仏教・禅思想)の記事
禅と経営①
禅と経営①(2022-10-01 11:20)

ZEN and Management
ZEN and Management(2022-09-24 15:18)

人生の目的
人生の目的(2022-09-17 21:30)

寧静致遠
寧静致遠(2022-08-19 01:27)

12月4日の記事
12月4日の記事(2021-12-04 22:28)


 
この記事へのコメント
今日のお話…*

私、涙が*
止まりません…*
Posted by *おねむ* at 2013年06月17日 18:56
>>自己において死に、宇宙意志において蘇るのです。
            ↑
            素敵!!!

kossan, Thank you!!!
Posted by f at 2013年06月17日 19:07
「ああそうか」
すばらしい言葉ですね。
日頃から思い出して使いたいものです。
Posted by mame at 2013年06月18日 20:09
心が洗われ、涙がでました。とても大切なお話をありがとうございます。丁寧に噛みしめ、腹に据えました。
私もそんな風に自然に思えるよう日々生きていきます。
深い余韻に浸っています。
Posted by るみりん at 2013年06月19日 11:24
※このブログではブログの持ち主が承認した後、コメントが反映される設定です。
上の画像に書かれている文字を入力して下さい
 
<ご注意>
書き込まれた内容は公開され、ブログの持ち主だけが削除できます。

削除
ああそうか
    コメント(4)