無事帰還しました

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臘八大接心(ろうはつおおぜっしん)から無事帰還しました。

接心そのものは、八日の朝2時まで続きます。
なぜ八日の2時かというと、お釈迦様が坐禅三昧の行を続けられ、ついにお悟りを開かれたのが八日の東の空に明けの明星が輝くころだったからです。

ですから禅宗では、十二月八日はお釈迦様のお悟り(成道)を記念して成道会(じょうどうえ)の法要が行われます。

つまり、臘八大接心と成道会は、禅の専門道場では一番重要な行事です。

じっと坐禅しているようでも腹式呼吸と経行(きんひん:歩行禅)で新陳代謝はかえって活発になり皆よく食べます。

徹夜の坐禅にそなえて夜9時頃には、夜食のウドンも出ます。なにしろ、料理係の典座(てんぞ)さんは、この時とばかりに腕によりをかけてご馳走をつくります。



この三日間、休憩時間に手帳に走り書きした記録をそのまま紹介します。

1日
今朝の粥坐(しゅくざ:朝食)はお椀に大盛りの小豆粥だった。

一椀の豆粥(づしゅく)をこうしていただけることがありがたい。
若い雲水と修行を共にできることがありがたい。
今年96歳でなお元気な師匠に参禅できるのがありがたい。

法楽(ほうらく)という言葉がある。

坐禅三昧の天地と一つになった境地、これが人生最高の快であり楽、法楽だ。
そして、法楽は尽きることがない。禅定を修しさえすれば、いつでもどこでもある。


2日
昨日から小雨が降り続いている。気温は6,7度。 臘八にしては寒くない。シルバー雲水にはありがたい。

歩いても坐っても「ムウー」と、無字三昧を通す。私にとって一番シンプルなマントラだ。
やがて、しみじみと懐かしく清らかな静寂の気に包まれる。
この「慈愛の気」ともよぶべき寂静の気を、日常もキープすることだ。

3日
老師の講座の臘八示衆(ろうはつじしゅう:臘八の間、白隠禅師が弟子たちを叱咤激励したもの)に次の一文があった。

学道は…、辞譲謙遜(じじょうけんそん)を専(もっぱ)らにし、心を一切衆生(いっさいしゅじょう)の下に置きことごとく度脱(どだつ)せんことを要すべし

「心を一切の人々に向けて、すべて皆、迷いから悟りへと導く」という誓願が、仏道修行・学道のまず最初になければならないというのだ。

自分の修行、自分の悟り・境地にかまけとらわれていては駄目だということだ。
他己中心の心に転換し、利他の精神をもとに修行せよということだ。

自分は、こんな大切なことを、今まであまり自覚せずに修行してきたように思う。


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この記事へのコメント
おかえりなさいませ。
禅の世界観、もっと、もっと、学んで、自分の中で体感したいです。
Posted by しょうじ at 2011年12月03日 20:17
こっさま、おかえりなさい。

走り書きされた日記を、ご披露してくださりありがとうございました。

「自分の修行・悟り・境地にかまけとらわれていては駄目だ」

朝から バシッと はたかれた感じで、心が引き締まりました!ありがとうございました。
Posted by ブルーエンジェル at 2011年12月04日 08:17
日々、ありがとうございます。
こっさんに、会いたいです。
しかし、会うことが難しいので、
考えたんですが、こっさんが指定した日時に、読者がみんなで瞑想を一緒に、自分の居場所で行うとか、いかがでしょうか?
すいません。
Posted by ろし at 2011年12月04日 12:54
ご無事のご帰還、何よりです。

人間死ぬまで学びなんだな、と思いました。
学んでも、気付いても、まだまだ学ぶことも気付くこともあることに気付く。
でも、それがなくなったらなくなったで、つまんないかも。
それとも、法楽の境地に至り、「つまんない」なんてことはないんでしょうかね?
いずれにしても、まだまだそんな境地には至っていないので、日々の小さな喜びに幸せを見出しております。
それはそれでよし(かな?)。
Posted by 雅蔵 at 2011年12月04日 16:54
お疲れ様でした。新鮮な言葉にとても感動しております。
座禅には大切なことを思い出させてくれる力があるのですね。私も継続しなければと刺激をいただきました。ありがとうございます。
Posted by 平櫛 at 2011年12月04日 22:10
お疲れ様でした。
ご老師もお元気ということでうれしいことです。
Posted by akaru at 2011年12月05日 13:17
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