2012年06月20日23:35
先回、松山萬密老師に「修行者の一番大切なことは何ですか?」とお聞きしたら、
即座に「正念相続」と答えられたことを、お話しました。
もう一人、参禅の時に同じ質問をした老師があります。
それは山田無文老師です。
お二人ともたまたま一回きりの参禅をする機会だったので、
ずばり根本的な質問をしたわけです。
無文老師も即座に答えて云く、
「菩提心じゃ!」
菩提心とは、
悟りを求めようとする心です。特に大乗では利他を強調し、悟りを求めるとともに世の人を救おうとする心を言います。
道元禅師は菩提心について次のように述べています。
菩提心をおこすといふは、おのれいまだわたらざるさきに一切衆生をわたさんと発願しいとなむなり。(正法眼蔵)
(菩提心を起こすということは、自分が幸せになる前に、みんなを救おうと誓って修行することです。)
人間はどうしても自己中心の視点から物事をとらえます。
それを、最初から他己中心の視点、利他のまわりみんなの幸せのために修行せよというのです。
その利他の菩提心を発することがすでに悟りの境地、「空」の慈愛の境地だというのです。
自分よりも人の幸せを願える人は、すでに幸せな自足の境地にある人でしょう。
菩提心(ぼだいしん)≫
カテゴリー │仏教・禅思想
先回、松山萬密老師に「修行者の一番大切なことは何ですか?」とお聞きしたら、
即座に「正念相続」と答えられたことを、お話しました。
もう一人、参禅の時に同じ質問をした老師があります。
それは山田無文老師です。
お二人ともたまたま一回きりの参禅をする機会だったので、
ずばり根本的な質問をしたわけです。
無文老師も即座に答えて云く、
「菩提心じゃ!」
菩提心とは、
悟りを求めようとする心です。特に大乗では利他を強調し、悟りを求めるとともに世の人を救おうとする心を言います。
道元禅師は菩提心について次のように述べています。
菩提心をおこすといふは、おのれいまだわたらざるさきに一切衆生をわたさんと発願しいとなむなり。(正法眼蔵)
(菩提心を起こすということは、自分が幸せになる前に、みんなを救おうと誓って修行することです。)
人間はどうしても自己中心の視点から物事をとらえます。
それを、最初から他己中心の視点、利他のまわりみんなの幸せのために修行せよというのです。
その利他の菩提心を発することがすでに悟りの境地、「空」の慈愛の境地だというのです。
自分よりも人の幸せを願える人は、すでに幸せな自足の境地にある人でしょう。
この記事へのコメント
人のためを考えられると言うのは、本当に幸せなことなんですね。
素敵です。
心がどう言うか耳を澄ませば、そこに全体の幸せが見えてくるかもしれませんね。
素敵です。
心がどう言うか耳を澄ませば、そこに全体の幸せが見えてくるかもしれませんね。
Posted by あみ at 2012年06月21日 00:39
確かに私が悟りたいと思った時、心中にあったのは菩提心でした。自問自答を繰り返して、自分がどうしても世の中を救えないと結論に達した時に絶望しました。そして救えない私が再び世界を創り出しました。とてつもなく愛おしい私の世界。映し出された全てをただただ大事に守ります♪頑張ります♪有難うございました。。
Posted by yu-ko k at 2012年06月21日 09:48
こっさん、
まだまだ正念相続が難しいです。
日によっては、それが(少し)出来るときもあり、散歩(森へ)行って心が洗われ、ほんの束の間ですが菩心が心を満たすときもあります。
しかし、日々近しい他人の「心無い」発言を耳にすると、また心が乱れます。
全てはただ起こっているだけ、偶然は存在せず、起こっていることは全て自分(と全ての存在の)の成長のためにある、ということも頭では理解しています。起こっていることに対し、善悪の評価を自動的に下すことも、しないようにしないように心がけてはいます。
自分を見つめることも試みています。
静寂を楽しむことも心がけています。
流れに逆らわず、ゆったりと流されるよう、力を抜くようにもしています。
先ずは自分の周りに存在する人・自然等の幸せを望み、そして全ての存在が安らかであることも祈っています。
こうやって、心の乱れに苦しみながらも、自分を成長へと導こうとする努力は忘れないようにしているのですが、これも必然なんでしょうね。
皆、多かれ少なかれ、同じような思いをしているのでしょうね。
頭で色々考えているうちは、苦しみは消えないのでしょうね。
心で生きるのは、簡単そうで、なんて難しいのでしょうか。
愚痴ではありません。
独り言をちょっと聞いてもらいたかったのか知れません。
これはこっさんに個人的に聞いてもらいたい独り言です。(矛盾していますが)
読んでいただけたら、そのまま承認せずに消去して下さい。
こっさんのご判断で、他の人も読んだ方がいいと感じられたら、載せてくださっても構いません。
ダイレクトメールのアドレスが見つからなかったので、このような形で伝えさせていただきました。
合掌
まだまだ正念相続が難しいです。
日によっては、それが(少し)出来るときもあり、散歩(森へ)行って心が洗われ、ほんの束の間ですが菩心が心を満たすときもあります。
しかし、日々近しい他人の「心無い」発言を耳にすると、また心が乱れます。
全てはただ起こっているだけ、偶然は存在せず、起こっていることは全て自分(と全ての存在の)の成長のためにある、ということも頭では理解しています。起こっていることに対し、善悪の評価を自動的に下すことも、しないようにしないように心がけてはいます。
自分を見つめることも試みています。
静寂を楽しむことも心がけています。
流れに逆らわず、ゆったりと流されるよう、力を抜くようにもしています。
先ずは自分の周りに存在する人・自然等の幸せを望み、そして全ての存在が安らかであることも祈っています。
こうやって、心の乱れに苦しみながらも、自分を成長へと導こうとする努力は忘れないようにしているのですが、これも必然なんでしょうね。
皆、多かれ少なかれ、同じような思いをしているのでしょうね。
頭で色々考えているうちは、苦しみは消えないのでしょうね。
心で生きるのは、簡単そうで、なんて難しいのでしょうか。
愚痴ではありません。
独り言をちょっと聞いてもらいたかったのか知れません。
これはこっさんに個人的に聞いてもらいたい独り言です。(矛盾していますが)
読んでいただけたら、そのまま承認せずに消去して下さい。
こっさんのご判断で、他の人も読んだ方がいいと感じられたら、載せてくださっても構いません。
ダイレクトメールのアドレスが見つからなかったので、このような形で伝えさせていただきました。
合掌
Posted by 雅蔵 at 2012年06月21日 15:34
自分のことを勘定に入れないで物事をすすめると、スムーズに事が進む、ということはよくあります。それがさらに深まり、いつも利他の心でいることが「菩提心」なのでしょうが、なかなかそういう境地にはいけません・・。
Posted by アウラ at 2012年06月21日 18:50
切羽詰まったり、経済面が悪くなったり、自己が肯定できなかったりで、結局自己保身のことばかり考えて、そのわりには結局なにもしたくないという。怠惰なだけの自分。なかなか他人まで配慮できなくなりますねー。
Posted by まさのり at 2012年07月04日 11:51
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