唯識⑥ー無字三昧

カテゴリー │仏教・禅思想

臘八大接心のめざすところは、ブッダと同じ覚者になること、すなわち見性することです。

しかし私は臘八で、見性・悟りを前方にゴールとして意識して修行したわけではありません。

専門道場では、老師によって毎晩白隠禅師の「臘八示衆(ろうはつじしゅう」が雲水に対する叱咤激励の意味で解説されます。その第一日目の文章を現代語訳して紹介します。


第一日目の夜、衆に示して言われるのには、禅定を修行する者は、まず厚く坐布をしいて、結跏趺坐(けっかふざ)して腰回りはゆったりとして、腰骨を起し背筋を伸ばし、身体を正しく整えることである。
そうして、まずはじめに数息観をすることだ。徹底的に三昧に入っていく(無量三昧)には数息観が最も良い。気を丹田(たんでん、下腹)に満たして、一則の公案を拈提(ねんてい)し妄想煩悩を払って、その公案になりきり命根(めいこん)を断じるのである。もし、このように歳月をかけて怠らなければ、必ずや見性できることは間違いのないことである。さあ努力せよ、さあ努力せよ。


なによりも、公案三昧に成りきり禅定をまっしぐらに突き進み、命根を断ぜよというのです。

老師の室内に参禅しても、
ただ「座布団のうえで死にきってこい、無に成りきってこい!」と叱咤激励されるだけです。

つまり、自我意識とそれにまつわり起こる思考を、徹底して無くし根絶することにのみに焦点が定められるわけです。

そして、自我意識を打破するのに、坐禅の腹式呼吸に合わせて、
「ムー、ムー」とマントラのように心で唱え、無に成りきっていくのです。

ちょうど無の大刀をひっさげて、「ムー」と煩悩・妄想の生起する自我意識のただ中を、まっしぐらに切り込んでいく感じです。
ですから、禅での悟りは「一超直入如来地(いっちょうじきにゅうにょらいち)」と言われます。

いま振り返ると、重要なことは、対応する老師のほうも無字三昧になっていて、師弟の気合いが一つになっていったということだと思います。


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この記事へのコメント
とても厳しい修行なんでしょうが、お師匠さんと一体になっている場は気持ちよさそうに感じます。
Posted by 雪駄 at 2012年01月11日 23:14
おお~
禅、かっこいい(; ̄O ̄)

あ、最近読ませていただいてます。
毎回刺激的です。
楽しみにいてます。
Posted by YY at 2012年01月11日 23:30
名古屋では ありがとうございました
自然な 穏やかな時間でした

在家と いわれ
デニムの 法衣

二部で 眼鏡が なかったのが とっても とっても不思議で~
アップルピザが美味しそうで~

ずっと 和尚人を 見つめさせて いただきました


自然法爾

あるがまま で 今をすごします

ありがとうございました
Posted by 蓮華 at 2012年01月12日 12:28
(今年最初のコメントかもしれないので・・・)
今年もよろしくお願いいたします!

「ムー」いいですね。
私も使わせていただきます。
下っ腹(丹田)に集中し、「ムー」。いいかも。
歩きながらは、ちょっと難しいですね(丹田に集中するのが)。
今日、ちょっとやってみます。

合掌
Posted by 雅蔵 at 2012年01月12日 16:18
向さんこんにちは。
瞑想の時に判断、識別、匂い、音など全ての感覚や思考にお休みしていただこうとゆったりとしていると深く入れることがよくあります。ただひたすら南無阿弥陀仏を唱えつづけたりしています。
でもそのまま居眠りをしてしまうことがあるようです。
方広寺での座禅会でご指導いただけると楽しみです。
Posted by 烈舟 at 2012年01月12日 21:12
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