2011年10月26日10:46
信行社のフェンスに○○の赤い実が成っています、何の実でしょう?
「あるがままを受けいれ 思うままに生きる」⑧
“廓然無聖(かくねんむしょう)”
ここしばらくは、禅僧・禅者の「あるがままの地平」に立ったところの境地を味わってみましょう。
先ずは、禅宗の初祖・達磨大師の言葉です。
「廓然」はカランとしてかっらぽで広いさま。「無聖」は聖なるものが無いという意味です。
熱心な仏教信者であった梁の武帝が、
「仏法ぎりぎりのところ、悟りの境地とはどんなものか?」と問うたのに対して、
達磨さんは、
「廓然無聖」と答えたそうです。
一応の意味は、「カランとして何のありがたいものはありません」となりますが、
悟りの境地を言葉の文脈で理解することは出来ないのですから。
天地一杯の声で、「かくねんむしょう!」とズッバと言ったほうがハラにおさまります。
武帝は、禅の悟りの境地は、何か特別ありがたいものにちがいないと期待してたのでしょう、
そこで達磨さんは、「廓然無聖」と、あるがままの地平に立つた、天地一杯の無の自分を、ゴロッと丸出ししたわけです。
明日お葬式ができました。たぶんブログはお休みになります。
これ何の実?≫
カテゴリー │仏教・禅思想
信行社のフェンスに○○の赤い実が成っています、何の実でしょう?
「あるがままを受けいれ 思うままに生きる」⑧
“廓然無聖(かくねんむしょう)”
ここしばらくは、禅僧・禅者の「あるがままの地平」に立ったところの境地を味わってみましょう。
先ずは、禅宗の初祖・達磨大師の言葉です。
「廓然」はカランとしてかっらぽで広いさま。「無聖」は聖なるものが無いという意味です。
熱心な仏教信者であった梁の武帝が、
「仏法ぎりぎりのところ、悟りの境地とはどんなものか?」と問うたのに対して、
達磨さんは、
「廓然無聖」と答えたそうです。
一応の意味は、「カランとして何のありがたいものはありません」となりますが、
悟りの境地を言葉の文脈で理解することは出来ないのですから。
天地一杯の声で、「かくねんむしょう!」とズッバと言ったほうがハラにおさまります。
武帝は、禅の悟りの境地は、何か特別ありがたいものにちがいないと期待してたのでしょう、
そこで達磨さんは、「廓然無聖」と、あるがままの地平に立つた、天地一杯の無の自分を、ゴロッと丸出ししたわけです。
明日お葬式ができました。たぶんブログはお休みになります。
この記事へのコメント
こんにちは。 今日は当てます。
大きさ形はぺピーノに似ていますが色が全然違うので・・・
これは《ウリ》です!
(ざっくりと《~科》で答えてみました。)
大きさ形はぺピーノに似ていますが色が全然違うので・・・
これは《ウリ》です!
(ざっくりと《~科》で答えてみました。)
Posted by ぐるくん at 2011年10月26日 16:10
あけび、でしょうか?
我が家のアケビ、花が咲いても実になりません
我が家のアケビ、花が咲いても実になりません
Posted by しの at 2011年10月26日 19:26
尽十方
あけびで〜す
陸前高田では今はみられません
あけびで〜す
陸前高田では今はみられません
Posted by jinjippo at 2011年10月26日 20:58
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