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毎回、お褒めや励ましのメッセージ、ありがとうございます。

さて、質問についてですが、


むらてつさん、プロフィールにも追記しておきましたが、僧堂では、修行僧の名前の後ろの漢字に「ーさん」とつけてお互いに呼び合います。
例えば、令峰禅士は「峰さん」、令孝は「孝さん」と呼ばれます。発声すると、「こっさん」になるわけです。
元気な赤ちゃんが誕生することを祈念しています。

らっぱさん、単純な体を動かす作業は無心になりやすいですね。
例えば、山歩き、庭掃除、草取り、写経、料理等、ひとそれぞれに無心になれる事があると思います。
坐禅の無心と核心のところは同じはずですが、坐禅は、充実した深い沈黙の世界に沈潜していく感じがつよいです。草取りは、大地に根ざした安らぎや開放感がありますね、無心といっても、その行為によって味わいが違うようです。

由来さん、先のことをあれこれ考えず、いまここの事を心をこめて無心でやる習慣がついてくると、日常のささやかな事が楽しく喜びを感じて出来るようになってきますね。
その身と心を統一する力(エネルギー)を禅定力(ぜんじょうりき)と言います。瞑想・坐禅はその禅定力を養う基本です。私も毎朝、読経前に約2時間。ヨガと坐禅をしています。おかげで、その日一日がとても充実して過ごせていると感じています。
僧堂の坐禅は、静寂の境地には違いないけど、その静寂の境地のただ中をまっしぐらに進んでいく感じです。ですから大いにエネルギーを使うようで、大接心の時は、皆よく食べるし、料理係の典座さんも腕によりをかけてご馳走を作ります。

蓮華さん、何かを感じるというのは、あなたの深いところの霊性が不動明王と感応しているのだろうと思います。
阿部さんの言うとおり、宇宙と一つの自分が本当の自分ですから、不動明王は、心の源のあなた自身ではないでしょうか。
私は、厚かましい人間ですから、観音様も、毘沙門天さんも、伊勢神宮も、すべて自分自身だと受けとめることにしています。
ですから、仏像や神社仏閣に礼拝するのは、自分に礼拝することになります。
世の中ありがたいと感じられることが多くなればなるほど、自分もありがたくなってくるわけです(^0^)

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この記事へのコメント
はじめましてもうすぐアラサーになる連と申します。自分の中でいろいろと疑問があり、コメントさせていただきました。
最近ちょいちょい仏教の本を読んだり瞑想したりしてますが、仏教ではすべての苦は自分らの執着からきてるもの だからすべての執着をすてなさいと教えてますが、でもビジネスにおいてこだわりをなくしちゃ何も向上しないような気がします。こだわりがあるからよりいいサービスや商品ができるかと。
それと、多分すべての人間みなより豊かになりたい、より自由に生きたいという願望もってると思います。貧乏になりたい、不自由になりたいって人いまのところ会ったことないので 笑
この願望も執着になるんでしょうか?人間願望もっちゃいけないものでしょうか?
例えば、億万長者になって自由に豊かに生きたいって願ったら叶えば当然うれしい でも、そうすると何かの拍子で億万長者ではなくなったら当然苦しいから現状キープに血眼になりますね。つまり、叶ったら叶ったで苦しいし、叶わないならそれはそれでやっぱり苦しい・・・
ならやっぱり最初から願望なんて持たないほうがいいってことですかね?
ちみに、わたしは叶ってないことで悶絶中です 笑
Posted by 連 at 2011年06月21日 18:31
 向さん、お返事ありがとうございます。

以前、書き込みをした後、プロフィールを読み直してみると
ハンドルネームについて書かれていたので、よく読んでなかった
のかな?と反省していましたが、更新されたんですね。由来が
分かって良かったです。

僧名は、後ろの名前の文字をとって○さんと呼べるように
なるようですから、そんな事はないでしょうが、私は「てつや」
なので、無理に呼ぶなら「やっさん」(横山かい!)か「やーさん」
(顔に似合わない呼び名)ですね(苦笑)

赤ちゃんは、私のお腹にいるわけではないので、私自身には
分かりませんが、妻曰く、もう蹴飛ばされると痛い状態にまで
なっているようです。以前、祥光寺にお参りに行った際は、
1月の寒い時でしたが、緑が青々している祥光寺にも子供を連れて、
参拝したいものです。
Posted by むらてつ at 2011年06月21日 22:42
いつもお返事ありがとうございます。
ここに来させて頂いて本当にありがたいなぁって思っています。

家に居るときはくつろいでいるせいかあまり思考はしませんが、仕事とかに行くとなかなか「いまここ」でいられることが難しかったのですが、最近いつも意識を頭のすぐ上にもっていくようにしたところ、前よりずっと思考をしなくなりました。
身体がもっと楽だということが分かり、今まで幻想の世界にどっぷり浸かってたなぁってしみじみ思います。

神谷美恵子さんって素晴らしい方ですね。^^
私も赤ちゃんの時、結核に罹りましたが薬があって助かりました。
当時は辛い病気だったと思います。
>「私の一生はただ恵みをうけるための器であった」
すごく感動します。 涙が溢れました。
私の時は、ただ、ただ幸せでしかたなかったです。
自分の存在だけが幸せでした。

どうかこれからもブログ続けてくださいね。
ほんとうにありがたいです。
Posted by 由未 at 2011年06月22日 15:25
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