2013年08月02日19:31
御嶽山を下山する時は、横なぐりの激しい風雨でした。
シティーボーイでスマート(=ひ弱い)な脚の私は、
今年も、田舎育ちで陸上部で鍛えた短足で丈夫な脚の愛ちゃん(家内)においてけぼりにされました。
それでも焦らず、スロ-ペースで足をすべらせないように、呼吸のリズムに合わせて念仏や真言を心で唱えながら一歩一歩注意して下山しました。
そうしているうちに、
「ああ!この岩に支えられている」
「ああ!この枕木に支えられている」
という感謝の思いがわいてきました。
激しい風雨の中だからこそ雑念もおこらず、「いまここ」の眼前の一歩一歩に集中でき自ずと感謝の心がわいてきたのだろうと思います。
自坊に帰ってからも、
「ナムアミダブツ」を自発自転する内なる命の律動として感じています。
平凡な日常生活においてもこの命の律動を保持して、
「いまここ」を感謝の心と共に一歩一歩大切に生きていこうと思います。
今回は激しい風雨のおかげで、「脚下照顧(きゃっかしょうこ):あしもとをみよ」の禅語の意義を体感できた素晴らしい御嶽山参拝でした。
脚下照顧(きゃっかしょうこ)≫
カテゴリー │今週の禅語・名言
御嶽山を下山する時は、横なぐりの激しい風雨でした。
シティーボーイでスマート(=ひ弱い)な脚の私は、
今年も、田舎育ちで陸上部で鍛えた短足で丈夫な脚の愛ちゃん(家内)においてけぼりにされました。
それでも焦らず、スロ-ペースで足をすべらせないように、呼吸のリズムに合わせて念仏や真言を心で唱えながら一歩一歩注意して下山しました。
そうしているうちに、
「ああ!この岩に支えられている」
「ああ!この枕木に支えられている」
という感謝の思いがわいてきました。
激しい風雨の中だからこそ雑念もおこらず、「いまここ」の眼前の一歩一歩に集中でき自ずと感謝の心がわいてきたのだろうと思います。
自坊に帰ってからも、
「ナムアミダブツ」を自発自転する内なる命の律動として感じています。
平凡な日常生活においてもこの命の律動を保持して、
「いまここ」を感謝の心と共に一歩一歩大切に生きていこうと思います。
今回は激しい風雨のおかげで、「脚下照顧(きゃっかしょうこ):あしもとをみよ」の禅語の意義を体感できた素晴らしい御嶽山参拝でした。
この記事へのコメント
無限の支えに感謝!ですね。
またの名を大地賛頌と。
またの名を大地賛頌と。
Posted by IV at 2013年08月02日 23:30
ご無事に戻られて、本当に何よりです。
筋肉痛がそろそろやってくる頃かな?
高いところが苦手な私は、「地に足をつけている」ことに感謝しております(笑)。
因みに私は筋肉痛が好きです。
「あ、まだ筋肉がある」と思えるので・・・
筋肉痛がそろそろやってくる頃かな?
高いところが苦手な私は、「地に足をつけている」ことに感謝しております(笑)。
因みに私は筋肉痛が好きです。
「あ、まだ筋肉がある」と思えるので・・・
Posted by 雅蔵 at 2013年08月03日 17:50
こっさんのブログが大好きです。
シンプルで、深い(^-^)
いつもハっとさせられ、
ああ、そうだな、と喜ばせていただき、
見習わせていただいています。
ぶれた軸がもどる感じがします。
ありがとうございます。
シンプルで、深い(^-^)
いつもハっとさせられ、
ああ、そうだな、と喜ばせていただき、
見習わせていただいています。
ぶれた軸がもどる感じがします。
ありがとうございます。
Posted by 悦子 at 2013年08月03日 21:48
ここ一年程、知り合いの寺で、夏の棚経、暮れと正月の行事、お彼岸行事などのお手伝いをさせていただいてきました。それらはいわての陸前高田支援のために、交通費、ガソリン代、車検代、タイヤ代、点検代、税金となり臨時費用となり、私を助けてくれていました。しかし何かが私に「基本に戻ろう」と呼びかけています。自分にとって今何が大切か、問い直そうという時期にきたのでしょう。基本とは、私にとっては、「坐禅と托鉢」です。坐禅と托鉢という生活を通して見えてくる ことがあると信じることができます。再びの新生活、脚下照顧、楽しみです。いくつになっても、いつでも生活を変えれるところにいれることがありがたいです。
Posted by jinjippo
at 2013年08月09日 23:09

※このブログではブログの持ち主が承認した後、コメントが反映される設定です。