供養について①ー父の供養

カテゴリー │仏教・禅思想


昭和40年2月11日の朝、
父は心筋梗塞の発作で、「ウー、ウー」と断末魔の呻き声をあげながら目の前で急死しました。

私たち家族にとっては、まさに青天の霹靂(へきれき)の出来事でした。
父は46歳の働き盛りで、私が高校3年生の時でした。


それまでの私は、
仏教・禅については全く無知・無縁で関心もありませんでした。

父が亡くなってからです、人生について本気で考えるようになったのは。

「人間誰もが死ぬんだ。死を前にしてもなお色褪せない意義ある人生はあるんだろうか…?」と深く疑問に思いました。
その答えを求めて、哲学や文学書を読みあさりました。

そして出会ったのが仏教であり禅の教えだったのです。

臨済禅師は、
「何ものにも頼らない境地においてこそ、
  本来の命が活き活きと働くのだ。
      その本来の命を体得せよ!」
と喝破しています。

内にも外にも何ものにも頼らず、独立自尊の気概をもって自由に生きる、臨済禅の素晴らしさに魅せられ参禅を始めました。

そして、専門道場で最も厳しい、一週間不眠不休で坐禅に徹底する臘八大接心(ろうはつおおぜっしん)に身を投じ見性しました。

迷いの多い元気のない心は、石ころや泥が詰まり泉が枯渇しかかっている井戸のようなものです。
井戸さらいのように、自我の思いのまとわりついた深層の記憶の石ころや泥を捨て去って心の源に至った時、
本来の純粋生命が自ずと泉のように湧きあがってきます。

その純粋生命は、
生死を超え、自他の区別もない宇宙生命であり、
仏の御命(無量寿・無量光)です。
その純粋生命を体得することを、
悟り(見性)と言ったり、「安心(あんじん)をえる」と表現するのです。 


父は人生最高のプレゼントを遺して此の世を去ったと、今は思います。

「死」という誰にも訪れる人生の真実を、
身をもって強烈に知らしめ見性へと誘ってくれたのですから。

見性することによって、
私は父と生死を超えて再会し、
最高の供養ができたと実感しています。
父ばかりではなく、亡くなった祖父母や恩師も身近に生きているように感じています。


坐禅の禅定三昧の行で心を徹底して浄化し、
故人と仏の御命(おんいのち)において再会する。

『みんながブッダ』で阿部ちゃんも言っているように、
「心の浄化」こそが供養の本質なのです。


次回は、葬式・法事等についてお話します。
コメントもどんどんお寄せください。



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この記事へのコメント
最高の供養を、最愛の息子さんにしてもらったお父様、さぞかしお喜びと思います。

私の父は病気ながらもまだ存命です。
生きているうちに、出来るだけ孝行をし、彼の人生に悔いが残らないよう、見守ってあげたいと思っています。

「みんながブッダ」を去年日本で購入し、ドイツに持ち帰り、読み終わった後、友達に回していました。(普及活動)
数人の手を回った後、つい先週戻ってきたので、またゆっくりと読み直したいと思います。

いつもありがとうございます。
Posted by 雅蔵 at 2013年07月04日 16:13
わたしの父も亡くなりました。

旅立って 8 年になりますが、
ずっとともに在ることが感じられます。

いつも笑顔で . . . 有り難いことです。

今日もありがとうございます (^ー^)/
Posted by TOMOKO at 2013年07月04日 16:56
私は身内を亡くすという体験を、26歳にして初めていたしました。
母方の祖父です。

晩年の祖父は自分の葬儀をどう執り行なうか、
そのほとんどを自分で決めていたそうです。
誰が来るのか、何人集まるのかさえ、見事に当てて見せました。

自分が逝けば誰もが悲しむ、もしやもすると立ち行かなくなるだろうと
思ったところもあったでしょう。家族は悲しみはしたものの、
用意周到な(!?)準備のおかげで、葬儀は無事に終わりました。

そして、そこには大きなターニングポイントがあったと思います。

うちの家族は誰もが自分の心に向き合えていないところがあり、
今思えば祖父の命はそこに一石を投じたのだと思っています。

それまでの私は自分の精神にはいまひとつふたつ自信が持てず、
「自分は身内が死んでも涙1つ流さない冷血な人間なのだろう」
と思っていましたが、いざ葬儀が終わると、メソメソ泣いていました。

正直、意外でした。

そこからそれぞれの人が自分の気持ちに素直になりはじめ、
幾許かの遣り取り経て平穏な今に至りました。

命は続くのだと思いました。

絵の師でもある祖父は、私の右腕と心に
そして今ここにしっかりと生きていると感じます。
Posted by IV at 2013年07月04日 20:36
うちも、昨年母が他界し、父はいま入院中です。坐禅修行がそのまま供養につながっていると、ご老師から伺えて嬉しくなりました。
心の浄化がそのまま供養になる…
有り難いお話 いつも感謝感謝です。
ご老師のお父様に心より合掌いたします。
Posted by 菅沼龍朗 at 2013年07月05日 05:19
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