2013年03月18日20:57
「あの世」と「この世」≫
カテゴリー │仏教・禅思想
比叡山で黒ちゃん(雲黒斎氏)の講演を聴いたり、直接お話してみて、
私なりの「あの世」と「この世」についての理解をお話します。
結論を言うと、
「あの世」と「この世」が別々にあるのではなく、
「いまここ」のあるがままの真実の世界は、「あの世」と「この世」が同時にあるということです。
例えてみれば※メビウスの輪みたいなものでしょう。
ですから「あの世」は、時間軸で捉えた死後の世界ではなく、
「いまここ」の現象として見えない『冥』の世界であり、
「この世」は現象界としてみえる『顕』の世界です。
つまり「いまここ」は、「あの世」と「この世」の全一的世界としての「在るがまま」の真如の世界であるということです。
悟るということは、現象界である「この世」の相対・区別の世界に生きながら、
同時に非現象の「あの世」の全一・平等の世界をも生きるということです。
『色』が区別のある現象界であり、『空』が全一の非現象の世界であり、あるがままの世界は 般若心経 にあるように、
「色即是空、空即是色」です。
そして、迷うということは、
全一・平等の『空』の世界が体感できずに、相対・区別の現象界に閉じこめられているということです。
追記:それから『法・真理』も空であって、
言葉では語り得ない次元を、仮に言葉で表現しているということを承知していることが大切です。
つまり、あらゆる言説は仮のものであって、真理そのものは語り得ないということです。
まず真理の体験(見性・悟り)があって、それを言葉で伝えようとしているということです。
私の見性も、言葉の説明によるものではなく、徹底した坐禅の実践によるものです。
「禅は語るべからず、行ずべし」で、日々の生活において、実践し(行じ)体感することです。
※メビウスの輪
私なりの「あの世」と「この世」についての理解をお話します。
結論を言うと、
「あの世」と「この世」が別々にあるのではなく、
「いまここ」のあるがままの真実の世界は、「あの世」と「この世」が同時にあるということです。
例えてみれば※メビウスの輪みたいなものでしょう。
ですから「あの世」は、時間軸で捉えた死後の世界ではなく、
「いまここ」の現象として見えない『冥』の世界であり、
「この世」は現象界としてみえる『顕』の世界です。
つまり「いまここ」は、「あの世」と「この世」の全一的世界としての「在るがまま」の真如の世界であるということです。
悟るということは、現象界である「この世」の相対・区別の世界に生きながら、
同時に非現象の「あの世」の全一・平等の世界をも生きるということです。
『色』が区別のある現象界であり、『空』が全一の非現象の世界であり、あるがままの世界は 般若心経 にあるように、
「色即是空、空即是色」です。
そして、迷うということは、
全一・平等の『空』の世界が体感できずに、相対・区別の現象界に閉じこめられているということです。
追記:それから『法・真理』も空であって、
言葉では語り得ない次元を、仮に言葉で表現しているということを承知していることが大切です。
つまり、あらゆる言説は仮のものであって、真理そのものは語り得ないということです。
まず真理の体験(見性・悟り)があって、それを言葉で伝えようとしているということです。
私の見性も、言葉の説明によるものではなく、徹底した坐禅の実践によるものです。
「禅は語るべからず、行ずべし」で、日々の生活において、実践し(行じ)体感することです。

※メビウスの輪
この記事へのコメント
はい、こっさん 宿題提出ありがとうございます。(#^0^#)
よく理解できます。
納得です。
感情や思考は生の一部として
ただそこに在るだけだと感じています。
迷うことに疲れ果て、もう飽きました。
そのお陰で、こっさんや黒斎さん、阿部さんに
出逢うことができたのですから
丸儲けですね。(^0^;)
花の香を嗅ぎ、風を感じながら
ゆったりと川の流れに身を任せ
オールを漕いで行きたいです。
比叡山でのお写真 楽しませていただきましたよ。
素敵なひと時だったことでしょうね。
今後も益々こっさんに魅了されちゃいそうです☆
ありがとうございます。(#^0^#)
よく理解できます。
納得です。
感情や思考は生の一部として
ただそこに在るだけだと感じています。
迷うことに疲れ果て、もう飽きました。
そのお陰で、こっさんや黒斎さん、阿部さんに
出逢うことができたのですから
丸儲けですね。(^0^;)
花の香を嗅ぎ、風を感じながら
ゆったりと川の流れに身を任せ
オールを漕いで行きたいです。
比叡山でのお写真 楽しませていただきましたよ。
素敵なひと時だったことでしょうね。
今後も益々こっさんに魅了されちゃいそうです☆
ありがとうございます。(#^0^#)
Posted by Devaprem at 2013年03月19日 07:11
黒斎さんのお話を聞くと、臨済録の弧峰頂上と十字街頭、十牛図の入廛垂手が浮かびます。あー同じこと言ってるー(笑)
因みにどちらも山田無門老師提唱、禅文化研究所発行の本です(笑)お気に入りです(笑)
因みにどちらも山田無門老師提唱、禅文化研究所発行の本です(笑)お気に入りです(笑)
Posted by 松の雪 at 2013年03月19日 11:10
昨日、面白い感覚(考え?)が湧きました。
「今、こうして車を運転して子供達を学校に送っているのも(普段はしません)、
こうやってタバコをくゆらせてリラックスしているのも、
ご飯を食べて美味しいと思うのも、
子供を抱きしめて、愛おしいと思うのも、
全て物質化した身体を通して、体験できることなんだなー。
きっとあの世(魂)では、できないんだろうなー。
だから、今こうやって、「体験・体感」できるのって、貴重なんだろうなー。
それならば、全ての体験を味わってしまおう。
あの世(魂)になったら、できないらしい。
今のうち、今のうち。
さ、美味しいもの食べよう。」
一日、一日を大事に全ての感覚を使って味わいたいと思いました。
今日のこっさんの記事の内容とは、かなりズレた話でごめんなさい。
誰かに話したかったんです(笑)。
いつもありがとうございます。
「今、こうして車を運転して子供達を学校に送っているのも(普段はしません)、
こうやってタバコをくゆらせてリラックスしているのも、
ご飯を食べて美味しいと思うのも、
子供を抱きしめて、愛おしいと思うのも、
全て物質化した身体を通して、体験できることなんだなー。
きっとあの世(魂)では、できないんだろうなー。
だから、今こうやって、「体験・体感」できるのって、貴重なんだろうなー。
それならば、全ての体験を味わってしまおう。
あの世(魂)になったら、できないらしい。
今のうち、今のうち。
さ、美味しいもの食べよう。」
一日、一日を大事に全ての感覚を使って味わいたいと思いました。
今日のこっさんの記事の内容とは、かなりズレた話でごめんなさい。
誰かに話したかったんです(笑)。
いつもありがとうございます。
Posted by 雅蔵 at 2013年03月19日 16:21
失礼しました。無文老師のお名前を間違えてしまいました。
m(_ _)m
m(_ _)m
Posted by 松の雪 at 2013年03月19日 23:06
こっさん、おはようございます。
少しご無沙汰していました。
昨年11月祖父が亡くなり、自分に
とってあの世が以前より身近な
存在になりました。祖父が亡く
なって以降、おじいさんは、今
どこで何をしているのかな?と
漠然と思うのですが、1歳半の娘が
車を見て、くんま。木を見て、
葉っぱ。と指で指すように、時々
何もない方を指差し、じいじと
言うのです。
あの世とは目には見えませんが、
かなり身近にあるのかな?と感じる
今日この頃ですo(^▽^)o
少しご無沙汰していました。
昨年11月祖父が亡くなり、自分に
とってあの世が以前より身近な
存在になりました。祖父が亡く
なって以降、おじいさんは、今
どこで何をしているのかな?と
漠然と思うのですが、1歳半の娘が
車を見て、くんま。木を見て、
葉っぱ。と指で指すように、時々
何もない方を指差し、じいじと
言うのです。
あの世とは目には見えませんが、
かなり身近にあるのかな?と感じる
今日この頃ですo(^▽^)o
Posted by むらてつ at 2013年03月22日 05:55
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