2013年02月07日17:36
「空」を言葉で説明すると、
あらゆる存在が、実体としてそれだけで存在しているのではないということです。
では、どのように存在しているかと言うと、
「縁起」において、互いに関わり合いつつ刻々と変化しながら存在しているというのです。
これを、「空は即ち縁起なり」と言うわけです。
その意味で、
私という実体(我)はなく、その時その場の関わり合いにおいて生かされ生きている「無我」の命が真実の自己です。
ですから、「私の彼」と言っても、
あの日、あの時、あの瞬間の環境における、私と彼との関わり合いの記憶にしかありません。
つまり、「私の彼」は記憶のなかで意識された仮の存在なのです。
その仮の存在である「私の彼」を実体化しとらわれ、頼りにすることで執着が生まれ、
「いまここ」の真実の命から遊離してしまうことになります。
ですから、頼りにならないものを頼りにすることなく、
「いまここ」の真実の命を生きるよう、先ず、言葉で意識された思い(思考)の世界から抜け出しなさいと禅は教えるのです。
ところが意識のうえで、
「私」という自我意識の幻想にまとわりついて、
「私の彼」、「私の息子」、「私の財産」、「私の地位」、「私の面子」、「私の悟り」…と、
「私」は、まるでクモの糸がまとわりつくようにして、いろんなものに執着しまとわりついて存在を確保し安心しょうとします。
ですから、なかなか自我意識の思いの世界から抜け出せないのです。
自我意識の思いの世界から抜け出し真理に至るには、
何ものも頼りとすることのない、
ただ独りの命(無位の真人)に徹底することです。
坐禅は、天地にだだ独りの境地に徹底し、
何ものも頼りにすることのない、
「天地いっぱいの無」、「空」の自己に帰る行です。
「空」について①≫
カテゴリー │仏教・禅思想
「空」を言葉で説明すると、
あらゆる存在が、実体としてそれだけで存在しているのではないということです。
では、どのように存在しているかと言うと、
「縁起」において、互いに関わり合いつつ刻々と変化しながら存在しているというのです。
これを、「空は即ち縁起なり」と言うわけです。
その意味で、
私という実体(我)はなく、その時その場の関わり合いにおいて生かされ生きている「無我」の命が真実の自己です。
ですから、「私の彼」と言っても、
あの日、あの時、あの瞬間の環境における、私と彼との関わり合いの記憶にしかありません。
つまり、「私の彼」は記憶のなかで意識された仮の存在なのです。
その仮の存在である「私の彼」を実体化しとらわれ、頼りにすることで執着が生まれ、
「いまここ」の真実の命から遊離してしまうことになります。
ですから、頼りにならないものを頼りにすることなく、
「いまここ」の真実の命を生きるよう、先ず、言葉で意識された思い(思考)の世界から抜け出しなさいと禅は教えるのです。
ところが意識のうえで、
「私」という自我意識の幻想にまとわりついて、
「私の彼」、「私の息子」、「私の財産」、「私の地位」、「私の面子」、「私の悟り」…と、
「私」は、まるでクモの糸がまとわりつくようにして、いろんなものに執着しまとわりついて存在を確保し安心しょうとします。
ですから、なかなか自我意識の思いの世界から抜け出せないのです。
自我意識の思いの世界から抜け出し真理に至るには、
何ものも頼りとすることのない、
ただ独りの命(無位の真人)に徹底することです。
坐禅は、天地にだだ独りの境地に徹底し、
何ものも頼りにすることのない、
「天地いっぱいの無」、「空」の自己に帰る行です。
この記事へのコメント
こっさん、今日もありがとうございました。
また一つ、糸のからみが解けたように感じます。
一つ一つ、からみを取っていけば、心もスムーズになっていくんですね。
解けた糸の中は「空」なんでしょうね。
それとも、繭の中には綺麗な蝶が隠れているのでしょうか?
娘に襟巻きを編んでくれと頼まれ、たまたま2,3日前から編み物をしているのですが(実に20数年ぶり)、毛糸のからみを解きながら、「実感」できました(笑)。
蜘蛛の糸は毛糸と違い、粘りつくので少しやっかいなのですが、心の糸も粘りがありますねー。(でも、蜘蛛の巣は美しいですね)
もう、ダマになってます!
糸といえば、中島みゆきさんの「糸」という曲、とてもきれいな曲ですよ。
また一つ、糸のからみが解けたように感じます。
一つ一つ、からみを取っていけば、心もスムーズになっていくんですね。
解けた糸の中は「空」なんでしょうね。
それとも、繭の中には綺麗な蝶が隠れているのでしょうか?
娘に襟巻きを編んでくれと頼まれ、たまたま2,3日前から編み物をしているのですが(実に20数年ぶり)、毛糸のからみを解きながら、「実感」できました(笑)。
蜘蛛の糸は毛糸と違い、粘りつくので少しやっかいなのですが、心の糸も粘りがありますねー。(でも、蜘蛛の巣は美しいですね)
もう、ダマになってます!
糸といえば、中島みゆきさんの「糸」という曲、とてもきれいな曲ですよ。
Posted by 雅蔵 at 2013年02月08日 18:04
道しるべをくださり、そのあたたかいお心に、深く感謝申し上げます。
この世の全ては変化するということ、その変化の軸が空なのでしょうか 実体とは目に見えるものではない。。。 実体は永遠に不変である。。。 色々な人とのかかわり合いのなかで刹那的に体感した実体。。。 その実体を探そうとすればするほど遠ざかる その苦しみのスパイラルの中でもがいていたように感じました そして記憶を実体化することで今をあるがまま受け入れられず執着していたこと。その変化から学ぶべきことを学べずに。。。 あるがままの今を、そしてうわべでなく実体を観て感じるには自分自身の実体を知ること、それを体感し、自分自身が記憶ではなく実体として生きること。。。 まずは自分の記憶の中で過去を生きている自分に気づくこと。。。 など、和尚様のおかげさまですこしずつだけども、地に足をつけてゆけるように感じています 自分を知りたい、今も私の心臓を動かし、生かしてくれているその実体を知りたい、全ての苦しい体験が、和尚様のお心が、そこに向かわせてくれているように感じています まだこんがらがっていてとりとめのない綴りで恐縮です 本当にありがとうございます
この世の全ては変化するということ、その変化の軸が空なのでしょうか 実体とは目に見えるものではない。。。 実体は永遠に不変である。。。 色々な人とのかかわり合いのなかで刹那的に体感した実体。。。 その実体を探そうとすればするほど遠ざかる その苦しみのスパイラルの中でもがいていたように感じました そして記憶を実体化することで今をあるがまま受け入れられず執着していたこと。その変化から学ぶべきことを学べずに。。。 あるがままの今を、そしてうわべでなく実体を観て感じるには自分自身の実体を知ること、それを体感し、自分自身が記憶ではなく実体として生きること。。。 まずは自分の記憶の中で過去を生きている自分に気づくこと。。。 など、和尚様のおかげさまですこしずつだけども、地に足をつけてゆけるように感じています 自分を知りたい、今も私の心臓を動かし、生かしてくれているその実体を知りたい、全ての苦しい体験が、和尚様のお心が、そこに向かわせてくれているように感じています まだこんがらがっていてとりとめのない綴りで恐縮です 本当にありがとうございます
Posted by まい at 2013年02月09日 10:31
Kossan
おはようございます
なんだかすごいことが書かれてますね
このシリーズ(?)ワクワクです!
「唯識(ゆいしき)」なんてここで初めて見た言葉ですが、どんな言葉でこれから書かれてくるのか、楽しみだなあ
もっともっとkossanの言葉で、「縁起」とか「ただ独りの命(無位の真人)」とかについても書いて欲しい
今日のpostで終わりにしないで、何度も何度も同じテーマをその時々に出てくるKossanの言葉で書いたものをもっと読みたいです
もっとKossanからいろいろ引き出したい。だってこんなすばらしい知恵Kossan持ってるし、せっかくKossanも書く気になっているのだから、一気に大放出してくれたら、どんなに嬉しいかな
など、一読者の身勝手な希望を正直に書きました
Kossanいつもどうもありがとう!
おはようございます
なんだかすごいことが書かれてますね
このシリーズ(?)ワクワクです!
「唯識(ゆいしき)」なんてここで初めて見た言葉ですが、どんな言葉でこれから書かれてくるのか、楽しみだなあ
もっともっとkossanの言葉で、「縁起」とか「ただ独りの命(無位の真人)」とかについても書いて欲しい
今日のpostで終わりにしないで、何度も何度も同じテーマをその時々に出てくるKossanの言葉で書いたものをもっと読みたいです
もっとKossanからいろいろ引き出したい。だってこんなすばらしい知恵Kossan持ってるし、せっかくKossanも書く気になっているのだから、一気に大放出してくれたら、どんなに嬉しいかな
など、一読者の身勝手な希望を正直に書きました
Kossanいつもどうもありがとう!
Posted by f at 2013年02月09日 11:25
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