合掌礼拝の心

カテゴリー │仏教・禅思想


アイシスちゃまのママへ
私の心の深層にもまだ優越感や劣等感、差別心などが残っています。

唯識では、
心の深層の長い間に習慣となった感情や意識のクセのようなものを「習気(じっけ)」と呼んでいます。
習気となった濁った水を浄化するには、
清らかな真水を根気よくどんどん入れ続けることだと思います。


るみりんさん
素晴らしいコメントありがとうございます。

“目の前のことを一生懸命やる…
自分の命はただただ生かされている。何かの役に立つため、誰かの役に立つため…
物言わぬものも、物言うものも自分の前にあるとき、観じる心で精一杯想いを受け取り自ら関われば、智恵を頂き道が開けるのかもしれない。その道は、きっと空に続いている。喜びや悲しみ苦しみも同じ光となる。
心は、限りない宇宙のようであります。”



さて唯識の四智の続きです、

第6識(意識)が転化して「妙観察智(みょうかんさっち)」:平等の中に各々の徳性があることを証する智に、

前五識(眼・耳・鼻・舌・身)が転化して「成所作智(じょうしょさち)」:あらゆるものをその完成に導く智になります。

大円鏡智と平等性智が「無の本体」の智とすると、
妙観察智と成所作智は「無の働き」の智と言えるでしょう。

「天地いっぱいの無」の静的な本体は、
それぞれが独自な個(令孝は令孝として)として動的に働きます。


その働きは、目の前の人や物の徳性に応じてその完成に導く
愛の創造的な働きとなるわけです。


菩薩願行文(ぼさつがんぎょうもん)という和文のお経に、
「弟子それがし謹んで諸法の実相を観ずるに皆是れ如来真実の妙相にして塵々刹々(じんじんせつせつ)一々不思議の光明にあらずということなし これによって古(いにし)え先徳は鳥類畜類に至るまで合掌礼拝(らいはい)の心を以って愛護し給へり…」とあります。

深層の心を浄化する
清らかな真水をどんどん入れ続ける日々の実践とは、

すべての存在を不思議の光明と受けとめ、
合掌礼拝の感謝と賞賛の心で愛護することでしょう。


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この記事へのコメント
孝ちゃんこんばんは。

…すべてのものを合唱礼拝の気持ちで愛護する…

すべてそう思えるようになるには、どうしたら良いのでしょう。
心が狭いのか、未熟なのか、私はすべてとはいきません。慈しみの心を持とうと思っても私の心は冷たいのか、すべてにいきとどきません。
心が成長すれば成熟すれば、そうなるのでしょうか。…と、「心」を使ってしまいました(笑)。
Posted by ブルーエンジェル at 2012年04月14日 22:26
合掌とは、とても深いこころを表す所作なのですね。
  
Posted by ゆうか at 2012年04月16日 11:16
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