2012年04月04日04:32
無-!≫
カテゴリー │今週の禅語・名言
趙州和尚、ちなみに僧問う、「狗子(くす)に還(かえ)って仏性有りや」。
州曰く、「無」。
唐の趙州禅師に、ある僧が「犬に仏性がありますか」と問うたところ、趙州は「無」と答えたというのです。
この「趙州無字」の公案は、参禅修行の最初に与えられる公案(初関)として有名です。
もちろん、有る無しの「無」でもなければ虚無の「無」でもありません。
老師(禅マスター)と弟子の一対一の全人格的な問答である入室(にっしつ)参禅で、
「天地いっぱいの無に成りきってこい!」
といわれるところの無です。
この無を体得することは、
あらゆる思慮や価値観を超えた「無の主体」として自己を自覚することであり見性することです。
ですから、「趙州無字」の公案は最も重要な公案であり、
およそ五千ある公案もすべてこの無字に帰するものです。
立っても坐っても四六時中「無-」と呼吸にあわせて身も心も無に成りきって、
まるで自分が一箇の熱い鉄の塊のようになるまで純化し、
ついに自我の底が破れたところに開けるのが
「天地いっぱいの無」であり「空」の境地です。
見性後の悟後の修行においても、
日常でマントラのように「無ー」三昧になることで、
雑念・妄想をさって「いまここ」に徹底して生きることができます。
州曰く、「無」。
唐の趙州禅師に、ある僧が「犬に仏性がありますか」と問うたところ、趙州は「無」と答えたというのです。
この「趙州無字」の公案は、参禅修行の最初に与えられる公案(初関)として有名です。
もちろん、有る無しの「無」でもなければ虚無の「無」でもありません。
老師(禅マスター)と弟子の一対一の全人格的な問答である入室(にっしつ)参禅で、
「天地いっぱいの無に成りきってこい!」
といわれるところの無です。
この無を体得することは、
あらゆる思慮や価値観を超えた「無の主体」として自己を自覚することであり見性することです。
ですから、「趙州無字」の公案は最も重要な公案であり、
およそ五千ある公案もすべてこの無字に帰するものです。
立っても坐っても四六時中「無-」と呼吸にあわせて身も心も無に成りきって、
まるで自分が一箇の熱い鉄の塊のようになるまで純化し、
ついに自我の底が破れたところに開けるのが
「天地いっぱいの無」であり「空」の境地です。
見性後の悟後の修行においても、
日常でマントラのように「無ー」三昧になることで、
雑念・妄想をさって「いまここ」に徹底して生きることができます。
この記事へのコメント
孝ちゃん、こんにちは。
春の嵐が去って、良いお天気になりました♪
「犬に仏性があるのか」「無」
と、色々な書物に出てきますが、
今日のお話で、よく理解できました。すっきりしました♪ありがとうございます。
雑念、想念をも超えて「無」…いまここを生きよう~。すぐに忘れてしまうけど、またヨロシクお願いしますm(__)m(笑)
春の嵐が去って、良いお天気になりました♪
「犬に仏性があるのか」「無」
と、色々な書物に出てきますが、
今日のお話で、よく理解できました。すっきりしました♪ありがとうございます。
雑念、想念をも超えて「無」…いまここを生きよう~。すぐに忘れてしまうけど、またヨロシクお願いしますm(__)m(笑)
Posted by ブルーエンジェル at 2012年04月04日 16:04
※このブログではブログの持ち主が承認した後、コメントが反映される設定です。