2012年01月24日21:59
唯識⑭ーやばかった話≫
カテゴリー │仏教・禅思想
さて、やばかった話です。
今までオープンにしたことはありませんが、禅修行の一つの実例として参考になればということで、思いきってお話をします。
大阪の自宅に帰ったその晩、むしょうに老師に会いたくなりました。
接心途中で下山したことや、老師がそのままいなさいと言われたことなどが、心にあったのかも知れません。
次の日母が、大分から無事帰ってきたのにまたすぐ行くなんてと反対するのも聞かず、今度は伊丹空港から飛行機で行くつもりで空港に向かいました。
大分行きのチケットを買って、出発時間までソファーに座って待っていた時です。
私は、知らずしらずのうちに、まるで宇宙の地場に吸い込まれるようにして禅定に入り忘我の状態になりました。
ふと前方に、金色に輝く神さま(ゴッド)のような姿が浮かび驚きましたが、すぐにスーと消えました。
幻想に浮かんだのが、禅なのに仏さまではなくゴッドであるところが面白いですね。
たぶん、私の幼稚園と大学がキリスト教系で、大学の時は聖書講読の授業を受けたりチャペルで賛美歌を歌ったりしたことがあるからだろうと思います。
さて我に返ると、なんと大分行きの飛行機のまさに出発する時間です。
慌てて滑走路の方に走り出しましたが、飛行機はまさに離陸するところでした。
「止まれ!」
なんと私は、離陸する飛行機に向かって大声で叫んだのです。
幸いすぐに、
「なるほど、飛行機は一喝しても止まらないんだ。こりゃあ、やばいことしたな」と思い。
誰かがびっくりして近づいてこようとしたので、さっさとその場を立ち去って待合ロビーの人混みにまぎれ込みました。
次に驚いたのは、ロビーに行き交う人と眼が合うと、その人の心がまるで自分の心に飛びこんでくるようなインパクトで感じられたことです。
美しく優しい心の人、スリか何か悪いことをたくらんでいそうな落ちつきのない心というようにスッと感じるのです。
そんなことのあった空港ですから、早々に離れようとバス停にむかって急いで歩きだしました。
「俺は気が変になったのか?」という不安をいだきながら歩いていると、今までに経験したことのない孤独感におそわれました。
それは、「寥々(りょうりょう)とした天地宇宙にただ独り」という感覚です。
その感覚は今も常にありますが、大きく違うのは、その時は深い孤独感をともなっていたのが、
今は、天地の大生命と共にあるという豊かで安らかな気持ちで独りあるということです。
阪急電車のプラットホームのベンチで待っている時も、目の前を急行が走り過ぎると、そのゴーという音が私を飲み込むように聞こえ、電車ではなく自分が飛んで行くような不思議な感じがしたことを覚えています。
本当にやばかった一日でしたが、幸い無事自宅にたどりつき、気が変になったようでもないことが分かり、その日はぐっすりと寝ました。
今考えると、老師の言われたようにあのまま僧堂にとどまっていれば、ごく自然に平常にもどったのだろうと思います。
和尚さんに学生が一喝をはくぐらいは、臨済の精神からすれば何でもないことなのですから。
ただ、心配された先輩居士のお陰で、思わぬ貴重な体験をさせてもらったと感謝しています(^□^)
今までオープンにしたことはありませんが、禅修行の一つの実例として参考になればということで、思いきってお話をします。
大阪の自宅に帰ったその晩、むしょうに老師に会いたくなりました。
接心途中で下山したことや、老師がそのままいなさいと言われたことなどが、心にあったのかも知れません。
次の日母が、大分から無事帰ってきたのにまたすぐ行くなんてと反対するのも聞かず、今度は伊丹空港から飛行機で行くつもりで空港に向かいました。
大分行きのチケットを買って、出発時間までソファーに座って待っていた時です。
私は、知らずしらずのうちに、まるで宇宙の地場に吸い込まれるようにして禅定に入り忘我の状態になりました。
ふと前方に、金色に輝く神さま(ゴッド)のような姿が浮かび驚きましたが、すぐにスーと消えました。
幻想に浮かんだのが、禅なのに仏さまではなくゴッドであるところが面白いですね。
たぶん、私の幼稚園と大学がキリスト教系で、大学の時は聖書講読の授業を受けたりチャペルで賛美歌を歌ったりしたことがあるからだろうと思います。
さて我に返ると、なんと大分行きの飛行機のまさに出発する時間です。
慌てて滑走路の方に走り出しましたが、飛行機はまさに離陸するところでした。
「止まれ!」
なんと私は、離陸する飛行機に向かって大声で叫んだのです。
幸いすぐに、
「なるほど、飛行機は一喝しても止まらないんだ。こりゃあ、やばいことしたな」と思い。
誰かがびっくりして近づいてこようとしたので、さっさとその場を立ち去って待合ロビーの人混みにまぎれ込みました。
次に驚いたのは、ロビーに行き交う人と眼が合うと、その人の心がまるで自分の心に飛びこんでくるようなインパクトで感じられたことです。
美しく優しい心の人、スリか何か悪いことをたくらんでいそうな落ちつきのない心というようにスッと感じるのです。
そんなことのあった空港ですから、早々に離れようとバス停にむかって急いで歩きだしました。
「俺は気が変になったのか?」という不安をいだきながら歩いていると、今までに経験したことのない孤独感におそわれました。
それは、「寥々(りょうりょう)とした天地宇宙にただ独り」という感覚です。
その感覚は今も常にありますが、大きく違うのは、その時は深い孤独感をともなっていたのが、
今は、天地の大生命と共にあるという豊かで安らかな気持ちで独りあるということです。
阪急電車のプラットホームのベンチで待っている時も、目の前を急行が走り過ぎると、そのゴーという音が私を飲み込むように聞こえ、電車ではなく自分が飛んで行くような不思議な感じがしたことを覚えています。
本当にやばかった一日でしたが、幸い無事自宅にたどりつき、気が変になったようでもないことが分かり、その日はぐっすりと寝ました。
今考えると、老師の言われたようにあのまま僧堂にとどまっていれば、ごく自然に平常にもどったのだろうと思います。
和尚さんに学生が一喝をはくぐらいは、臨済の精神からすれば何でもないことなのですから。
ただ、心配された先輩居士のお陰で、思わぬ貴重な体験をさせてもらったと感謝しています(^□^)
この記事へのコメント
はぁ。。こっさま、凄いエピソードですね。。
まじ、ヤバかったですね(笑)
私がもし悟ったら、何をしでかすかわからないので(笑)
このままで良いかなぁ。。ホヘェ。。
まじ、ヤバかったですね(笑)
私がもし悟ったら、何をしでかすかわからないので(笑)
このままで良いかなぁ。。ホヘェ。。
Posted by そら at 2012年01月24日 22:24
こっさま、とっても興味深く、読ませていただきました
やっぱり、すべて、決まっている、もしくは、決めてきているのです、ね
やばい体験をしたからこそ
こっさまは、こんなにも、謙虚で、まわりを尊重されるのですね
どんなことにも、感謝できること、ステキですね
ひとりでも、根っこで繋がっている
その、安心や余裕は、半端ないなぁと、感じます
やっぱり、すべて、決まっている、もしくは、決めてきているのです、ね
やばい体験をしたからこそ
こっさまは、こんなにも、謙虚で、まわりを尊重されるのですね
どんなことにも、感謝できること、ステキですね
ひとりでも、根っこで繋がっている
その、安心や余裕は、半端ないなぁと、感じます
Posted by ともみ at 2012年01月25日 02:04
禅の初心者ですが、良き話を聞かせていただきました。
精神世界をかじってきた者として、腑に落ちた点がありました。ありがとうございました。
精神世界をかじってきた者として、腑に落ちた点がありました。ありがとうございました。
Posted by めだか at 2012年01月25日 07:24
貴重な体験談を書いて頂き、ありがとうございます。
私の知人から、神の孤独がお前に分かるか、世界は神しかおらず、孤独なのだ、世界はお前しかいない、と言われたことがあるのですが、それと似たような心境なのでしょうか。私にはよく存じませんが、そのような心境になることもあるのですね。
目覚めは恍惚感に包まれるとよく聞きますが、そうとばかりは行かないような貴重な体験談をありがとうございます。
私の知人から、神の孤独がお前に分かるか、世界は神しかおらず、孤独なのだ、世界はお前しかいない、と言われたことがあるのですが、それと似たような心境なのでしょうか。私にはよく存じませんが、そのような心境になることもあるのですね。
目覚めは恍惚感に包まれるとよく聞きますが、そうとばかりは行かないような貴重な体験談をありがとうございます。
Posted by 体験談ありがとうございます at 2012年01月25日 09:21
経験談を聞かせて
頂きありがとう
ございます。
大きな意識体験を
したあとの軟着陸が
存外に難しいのかも
知れませんね
頂きありがとう
ございます。
大きな意識体験を
したあとの軟着陸が
存外に難しいのかも
知れませんね
Posted by 風 at 2012年01月25日 10:55
Dearこっさん、
貴方は……
厳しい禅の修行によって
肉体と幽体が
遊離して
いろいろな時空に入られて
さ迷っている刹那、
いろいろな憑依を
受けられたのかしら?
憑依される事って、
憑依する御霊
(次元、原型は関係なく
純粋にエネルギーとして)の
癒しになるけれど*
魔、とは……?
何を意味するのでしょう?
人は、
自分の想い(想念)と
同じ波動を持つものか、
それと正反対の想念に
引き寄せられますが、
(激しい愛も憎しみも、
一揃えです*)
こっさん、
魔、とは…?
魔、とは
自分で自分を
制御できなくなる事…?
それとも?
別の何か…?
私、
魔の本質を知りたいです*
天と地の子供である
私達、
どうすれば、
木の葉の様に
中庸でいられるのでしょう?
魔に捕まらず、
どうすれば、
自分の本性を
生きることが
出来るのでしょう…*
どうすれば、
執着(こだわり)と
良いお付き合いが
出来るように
なれるのでしょう?
総ての不幸せの
源が執着だって、
気が付いてはいますが、
愛する人へ、
人間の考える幸福への
強い願いは
捨て去る事が
できないでいる
今日、この頃の
私です…*
貴方は……
厳しい禅の修行によって
肉体と幽体が
遊離して
いろいろな時空に入られて
さ迷っている刹那、
いろいろな憑依を
受けられたのかしら?
憑依される事って、
憑依する御霊
(次元、原型は関係なく
純粋にエネルギーとして)の
癒しになるけれど*
魔、とは……?
何を意味するのでしょう?
人は、
自分の想い(想念)と
同じ波動を持つものか、
それと正反対の想念に
引き寄せられますが、
(激しい愛も憎しみも、
一揃えです*)
こっさん、
魔、とは…?
魔、とは
自分で自分を
制御できなくなる事…?
それとも?
別の何か…?
私、
魔の本質を知りたいです*
天と地の子供である
私達、
どうすれば、
木の葉の様に
中庸でいられるのでしょう?
魔に捕まらず、
どうすれば、
自分の本性を
生きることが
出来るのでしょう…*
どうすれば、
執着(こだわり)と
良いお付き合いが
出来るように
なれるのでしょう?
総ての不幸せの
源が執着だって、
気が付いてはいますが、
愛する人へ、
人間の考える幸福への
強い願いは
捨て去る事が
できないでいる
今日、この頃の
私です…*
Posted by *おねむ* at 2012年01月25日 11:19
なにもコントロールする必要は無いと思いました。(最近の記事を見て)
どこでどうなるかは知らないし。
反省すべき自己も無い。
もしも体験に悪いものがあるのなら、それを避けようと苦しむのではないですかね。
悪い体験をしないように努力が必要に。
もしも理想の体験があるならば、皆同じものを目指す筈。
それって豊かなのだろうか?
どこでどうなるかは知らないし。
反省すべき自己も無い。
もしも体験に悪いものがあるのなら、それを避けようと苦しむのではないですかね。
悪い体験をしないように努力が必要に。
もしも理想の体験があるならば、皆同じものを目指す筈。
それって豊かなのだろうか?
Posted by ぷ~すけ at 2012年01月25日 11:22
いや~!やばかったですね。
お忙し中、皆さんのご期待に応え(笑)夜に更新して
くださったことに感謝いたします。
この世に産まれ、人間が追い求めるのは心の安定、安心
だと思います。
一瞬にして目覚めを知る人、天国から地獄のような
日々を体現して目覚める人、見性には人それぞれいろいろな
目覚め方があるのですね。
ありがとうございました。
お忙し中、皆さんのご期待に応え(笑)夜に更新して
くださったことに感謝いたします。
この世に産まれ、人間が追い求めるのは心の安定、安心
だと思います。
一瞬にして目覚めを知る人、天国から地獄のような
日々を体現して目覚める人、見性には人それぞれいろいろな
目覚め方があるのですね。
ありがとうございました。
Posted by さり at 2012年01月25日 13:05
こんにちは!
面白い体験をされたのですね!
うらやましい~!(笑)
「あるヨギの自叙伝」や「ヒマラヤ聖者の生活深求」などの本には色々なことが書かれています。
この世ではとても信じられないようなことが書かれていて、自分の真我に近づくほど?または常に真我でいられるほど、さまざまな特べつ?な事が起こりやすくなるのかもしれません。
そこに出てくる人たちは、何も特別なのもではありませんよ、誰にでももともとそなわっている性質です。
と、いっていますが・・・。
面白い体験をされたのですね!
うらやましい~!(笑)
「あるヨギの自叙伝」や「ヒマラヤ聖者の生活深求」などの本には色々なことが書かれています。
この世ではとても信じられないようなことが書かれていて、自分の真我に近づくほど?または常に真我でいられるほど、さまざまな特べつ?な事が起こりやすくなるのかもしれません。
そこに出てくる人たちは、何も特別なのもではありませんよ、誰にでももともとそなわっている性質です。
と、いっていますが・・・。
Posted by 田島 at 2012年01月25日 13:21
あれ?
なんかその話知ってます。
以前にもこのブログに書かれてました?
なんかその話知ってます。
以前にもこのブログに書かれてました?
Posted by 歌丸 at 2012年01月25日 13:28
ひぇー、本当にヤバかったですねぇ( ̄▽ ̄;)
悟りを得たら、覚醒したら
全てが薔薇色でキラキラして
もう何も問題はなく、
平安に包まれた素晴らしい人生になると思っていましたが…
やはり落ち着くのに時間はいるのでしょうか?
仏陀も覚醒後
ヤバかったことあったのでしょうか?
はらはらしたなあ~、こっさま。(笑)
悟りを得たら、覚醒したら
全てが薔薇色でキラキラして
もう何も問題はなく、
平安に包まれた素晴らしい人生になると思っていましたが…
やはり落ち着くのに時間はいるのでしょうか?
仏陀も覚醒後
ヤバかったことあったのでしょうか?
はらはらしたなあ~、こっさま。(笑)
Posted by ブルーエンジェル at 2012年01月25日 13:47
やばかったんですね、本当に・・・
しかし、終わりよければ全てよし(?)
今のこっさんを作っている一つの経験なんですね。
とっても興味深く読ませていただきました。
合掌
しかし、終わりよければ全てよし(?)
今のこっさんを作っている一つの経験なんですね。
とっても興味深く読ませていただきました。
合掌
Posted by 雅蔵 at 2012年01月25日 15:49
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