2011年11月15日09:18
私じゃないんだ≫
カテゴリー
昨日は、母親(88歳)と家内と三人で大阪の瓜破霊園に父の墓参りに行ってきました。
市営の瓜破霊園は、広くて明るくて墓石がたくさん並んでいますが、不思議と心が落ち着きます。
生まれてから29歳まで過ごした大阪の町ですが、都心には高層ビルが建ちならび随分と様変わりしました。
会社に勤めたり、雲水で修行したり、寺の和尚になったりと、いろいろありましたが、根本のところの自分は何も変わってないなと思いました。
「生きるってどういうこと?」と改めて思いました。
そして、やっぱり「慈しみと愛もって、生きることだけだな」と思いました。
私もまだ貪欲(欲望)と瞋恚(怒り)と愚痴(迷い)にとらわれることがあります。
それらは、私の欲望、私の思いと、すべて自己中心の自我から出てきています。
「視点は、私じゃないんだ、私じゃないんだ」と自我を手放しにして、まわりのすべての命への「慈愛」にシフトする。
そんな地平から、なんの前提もなくその時々の気づきに随って生きていこうと思いました。
市営の瓜破霊園は、広くて明るくて墓石がたくさん並んでいますが、不思議と心が落ち着きます。
生まれてから29歳まで過ごした大阪の町ですが、都心には高層ビルが建ちならび随分と様変わりしました。
会社に勤めたり、雲水で修行したり、寺の和尚になったりと、いろいろありましたが、根本のところの自分は何も変わってないなと思いました。
「生きるってどういうこと?」と改めて思いました。
そして、やっぱり「慈しみと愛もって、生きることだけだな」と思いました。
私もまだ貪欲(欲望)と瞋恚(怒り)と愚痴(迷い)にとらわれることがあります。
それらは、私の欲望、私の思いと、すべて自己中心の自我から出てきています。
「視点は、私じゃないんだ、私じゃないんだ」と自我を手放しにして、まわりのすべての命への「慈愛」にシフトする。
そんな地平から、なんの前提もなくその時々の気づきに随って生きていこうと思いました。
この記事へのコメント
読ませていただくと、いつも何だか安心します。
ありがとうございます。
今日もしっかり生きます(^-^)v
ありがとうございます。
今日もしっかり生きます(^-^)v
Posted by ままや at 2011年11月15日 10:29
「私もまだ貪欲(欲望)と瞋恚(怒り)と愚痴(迷い)にとらわれることがあります。」
「「視点は、私じゃないんだ、私じゃないんだ」と自我を手放しにして、まわりのすべての命への「慈愛」にシフトする。」
この言葉に胸を打たれました。
向禅師でさえそう思って毎日を生きていらっしゃる。。。
今更ながら、一瞬、一瞬、気づきをもって生きていくことの
大切さがよくわかりました。
ありがとうございました。
「「視点は、私じゃないんだ、私じゃないんだ」と自我を手放しにして、まわりのすべての命への「慈愛」にシフトする。」
この言葉に胸を打たれました。
向禅師でさえそう思って毎日を生きていらっしゃる。。。
今更ながら、一瞬、一瞬、気づきをもって生きていくことの
大切さがよくわかりました。
ありがとうございました。
Posted by debe at 2011年11月15日 14:00
<<視点は、私じゃないんだ、私じゃないんだ>>
エゴを手放す・・・・この試みも「はっと気がついた時だけ」で、なかなか思考から離れられませんが、↑ の言葉をかみ締めていこうと思います
ありがとうございます♪
エゴを手放す・・・・この試みも「はっと気がついた時だけ」で、なかなか思考から離れられませんが、↑ の言葉をかみ締めていこうと思います
ありがとうございます♪
Posted by しの at 2011年11月15日 20:56
こっさん強いなー:)
Posted by ゆうこ at 2011年11月15日 21:45
「視点は私じゃない」、とても分かりやすかったです。
自我に縛られてるとき、自分に言い聞かせようと思います。
いつもありがとうございます。
自我に縛られてるとき、自分に言い聞かせようと思います。
いつもありがとうございます。
Posted by eagle at 2011年11月16日 05:45
こっさま、おはようございます。
ご家族でお墓参り・・・日常の大切なひとときですね。
今週末に、私の父の三十三回忌法要をします。
私が二十歳の時に父は亡くなりました。あれから三十年以上過ぎ
私は家庭を持ち、今を幸せに生きています。
父に感謝と愛をもって、手を合わせたいと思っています。
ご家族でお墓参り・・・日常の大切なひとときですね。
今週末に、私の父の三十三回忌法要をします。
私が二十歳の時に父は亡くなりました。あれから三十年以上過ぎ
私は家庭を持ち、今を幸せに生きています。
父に感謝と愛をもって、手を合わせたいと思っています。
Posted by ブルーエンジェル at 2011年11月16日 08:20
「私じゃないんだ」と言う私を横目でウフフ。
ワタクシ戻ってきました、陸前高田から。
こわばった顔、険しい顔、怖い顔、苦悩の顔、無表情な顔を沢山目に心にしてきて、、、悲しい顔なんてないんですよお、、
、、
今ここ内地では、人々の顔は表情に満ちています。平和だーー
欲望オーライ、愚痴オーライ、いかりオーライ、Welcome!ヾ(^▽^)ノ
尽十方が滞在した高田町字寒風のお寺で、去る8月14日に法要がありました。十方が現地に着いたのは11月18日だったので、その法要を記録したCDを聞かせていただきました。
津軽三味線と法話(敢えて、呆話としてありますが)は檀家や被災者の方達にもまして、十方のような非被災者には現地の方達の 声にもならない、涙にもならないところが伝わってくるものでした。
他の非被災者のかたにも聞いていただいて、少しの間でも、共に法要の場に座し心を伴にすれば、亡くなった方達への供養、生き残った方達への励ましになると感じ至り、イヤ、直感し、連絡先として、尽十方のメールアドレスを表示致します。が、、
こっさん、いいでしょうか?
ワタクシ戻ってきました、陸前高田から。
こわばった顔、険しい顔、怖い顔、苦悩の顔、無表情な顔を沢山目に心にしてきて、、、悲しい顔なんてないんですよお、、

今ここ内地では、人々の顔は表情に満ちています。平和だーー

尽十方が滞在した高田町字寒風のお寺で、去る8月14日に法要がありました。十方が現地に着いたのは11月18日だったので、その法要を記録したCDを聞かせていただきました。
津軽三味線と法話(敢えて、呆話としてありますが)は檀家や被災者の方達にもまして、十方のような非被災者には現地の方達の 声にもならない、涙にもならないところが伝わってくるものでした。
他の非被災者のかたにも聞いていただいて、少しの間でも、共に法要の場に座し心を伴にすれば、亡くなった方達への供養、生き残った方達への励ましになると感じ至り、イヤ、直感し、連絡先として、尽十方のメールアドレスを表示致します。が、、
こっさん、いいでしょうか?
Posted by jinjippo at 2011年11月16日 12:22
そうですね。
心の深奥は子どもの頃と全く同じものだと最近よく思います。
感じ方も同じ。
好きなことも同じ。
昔から雲を眺めてぼ~っとするのが大好きでした。
そして今、忘れかけていた自分を取り戻そうとしています。
時には貪り、怒り、迷うのも自分以前のそれを思い出させるためなんでしょうね。
あなたが本当に好きなことは何ですか。
気持ちいいと感じる瞬間はいつですか。
瞑想をしながら静かに問いかけていると、本来の自分に還っていく気がします。
自分の気持ちに正直に生きれば、現実も自ずと変わっていく。
そんな体験をまさに今しています。
九州は雲ひとつないいい天気です。
あぁ、気持ちいいなぁ。。。
心の深奥は子どもの頃と全く同じものだと最近よく思います。
感じ方も同じ。
好きなことも同じ。
昔から雲を眺めてぼ~っとするのが大好きでした。
そして今、忘れかけていた自分を取り戻そうとしています。
時には貪り、怒り、迷うのも自分以前のそれを思い出させるためなんでしょうね。
あなたが本当に好きなことは何ですか。
気持ちいいと感じる瞬間はいつですか。
瞑想をしながら静かに問いかけていると、本来の自分に還っていく気がします。
自分の気持ちに正直に生きれば、現実も自ずと変わっていく。
そんな体験をまさに今しています。
九州は雲ひとつないいい天気です。
あぁ、気持ちいいなぁ。。。
Posted by runrun at 2011年11月16日 13:02
尽十方

さっき、訳も分からずブログをいじっていいたら、検索というところがでてきたので「陸前高田」と書き込んで検索したら、「陸前高田へ行ってきました」ブログが沢山でてきたのでびっくり。そうか、こういうところに呼びかければいいのか、と納得
。前言撤回。場所を移します。おさがわせしてすみません

さっき、訳も分からずブログをいじっていいたら、検索というところがでてきたので「陸前高田」と書き込んで検索したら、「陸前高田へ行ってきました」ブログが沢山でてきたのでびっくり。そうか、こういうところに呼びかければいいのか、と納得



Posted by jinjippo at 2011年11月16日 22:34
大阪まで来られたのですか。お母様、お元気なのですね。
わたし、昨年、茂松寺さんのお世話で父の50回忌をしました。だから今年、満50年でした。
長いような短いようなです。
因みに茂松寺の桃仙和尚が亡くなってから、息子さんお二人、しっかりとなさってます。弟さんの方は東福寺におられますが、お盆は茂松寺の檀家回りを手伝いに帰ってこられます。
わたし、昨年、茂松寺さんのお世話で父の50回忌をしました。だから今年、満50年でした。
長いような短いようなです。
因みに茂松寺の桃仙和尚が亡くなってから、息子さんお二人、しっかりとなさってます。弟さんの方は東福寺におられますが、お盆は茂松寺の檀家回りを手伝いに帰ってこられます。
Posted by akaru at 2011年11月18日 11:01
意識しなきゃならないものがあるとしたら、
それはいまここには無いものじゃないかと。
意識しなくてもそれはここに在る。
気付いているかどうかだけで。
邪魔するのは考え。
今道端に寝転んでいる人を見て、その人と自分とを隔てるのは考えだけだ。
考えがなければその人と自分とは何も隔たりは無いんじゃないかな。
慈愛はいまここに在るのだと。
それはいまここには無いものじゃないかと。
意識しなくてもそれはここに在る。
気付いているかどうかだけで。
邪魔するのは考え。
今道端に寝転んでいる人を見て、その人と自分とを隔てるのは考えだけだ。
考えがなければその人と自分とは何も隔たりは無いんじゃないかな。
慈愛はいまここに在るのだと。
Posted by ぷ~すけ at 2011年11月18日 23:40
※このブログではブログの持ち主が承認した後、コメントが反映される設定です。