達磨曰わく「知らん(不識)」

カテゴリー │仏教・禅思想























      (この花なあに?)



昨日の朝も台風の影響で、今にも降りそうな曇り空でした。
それでも、果敢に被写体を求めて、携帯カメラ持って近くの田圃道を散歩しました(^0^)

セキレイでしょうか、きれいな小鳥が水溜まりでツンツンやっていたり、白サギが強風にあおられながら飛んでいたり、畑には、ナスの花が咲きつややかな実が成っていたり、稲穂が波打っていたりと、
自然は千差万別、それぞれの自分の命に輝きながら、大きな調和の中で今を生きています。


そう言えばこの間の夏期講座で、理学博士の佐治晴夫先生が、

「自分」というのは「自然」の「分身」だから「自分」といいますと、言われていたのが印象的でした。

「自分、自分」と言っても、単独の実体としての自分は、思いの中の幻想です。

ですから、自分探しの旅の終わりの安息の地は、これといった自分は無いことに気づくことです。

自然、さらには宇宙の分身・パートとして、一つの命に生かされている「自分」を体感すること、「天地と我と同根、万物と我と一体」の境地に帰ることです。

その「自分」は、畑のナスと同じように、自らを語ることも解釈することも要しない「あるがまま」の自分です。


アイデンティティー(自己同一性・一貫性)という言葉がありますが、
「君のアイデンティティーは?」なんて聞かれたら、どぎまぎしてしまいますよね。

アイデンティティーは心理学の概念で、次のように説明されています。

自分が誰なのかを知ることを、自我同一性(アイデンティティ)を確立すると言います。
自分は、他の誰でもない、まぎれもなくユニークな自分自身であり、現在の自分が何者であるか、将来何でありたいかを自覚すること、つまり自分を発見することがアイデンティティの確立です。


ところが、達磨大師は、インドから中国に来て、時の皇帝武帝に招かれ、
「お前さんは何ものなのですか?」と問われて、

「知らん」(不識)と答えたのです。

普通なら、アイデンティティーの証明みたいに、「こういう者です」と名刺をだすところですが、

達磨さんは、「知らん!」


心理学で言うアイデンティティーは、役割や職業で意識される自我の社会的側面のようですが、仏教・禅でいう本当の「自分」は。そう言う意識された自我が抜け落ちたところの、何ものでもない「自分」、天地・宇宙と一つの空(無)の自己です。

ちょうど、タマネギの皮をむいては捨て、むいては捨てして、何も残らないようなもので、

禅の修行では、一切放下(いっさいほうげ)とか、身心脱落(しんじんだっらく)と言います。

アイデンティティーは、確立されるもだから、たとえば「ガンであと半年の命です」と宣告されたりしたら、崩壊してしまいます。

元々何も無い「空」・「無」の境地に安心してほっこりしていれば、くずれたり失ったりするものは何もありません。

いや、「無一物中無尽蔵(むいちもつちゅうむじんぞう)」で、花もナスも空も月も、すべてが自分の命と体感されるのです。


ところで、今朝阿部さんのブログを何気なくたずねたら、アイデンティティーという言葉があるので、びっくりしました。

二人は、シンクロナイズしているのかなあ!









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この記事へのコメント
こっさま、おはようございます。

名古屋、猛烈な雨が降っています。皆様のところは大丈夫ですか?

自分探しを我武者羅にやってきて、何年か前に
「自分というものをなくしても、ただ世界はあるがままにあるんだな」と感じてから自分探しから遠ざかり、また普通の主婦のおばさんを安心して やっています(笑) 

こっさまの言葉で、さらに深く深く納得して安心しました。ありがとうございました。
Posted by ブルーエンジェル at 2011年09月04日 08:05
かぼちゃ?かな?

自然の写真癒されます
Posted by ぐりーん at 2011年09月04日 09:05
シンクロ、おもしろいですね

あるがまま…
解っているつもりが、また忘れていました

気付かせていただいて、ありがとうございます
Posted by あいちゃん at 2011年09月04日 09:59
ビックリしました~!うちの庭かと思いました。(笑)
かぼちゃの花ですね♪

達磨さん、かっこいいです!
本来無一物
Posted by eagle at 2011年09月04日 10:23
かぼちゃっぽいですね。

根底に自分が誰なのかを知りたい欲求があるのじゃないかと。

いつまでも知ることができないのを紛らそうとして自我がこんな自分である
という仮面の自分をアイデンティティーにしようとするんじゃないかと。

知りたい人 と 知っている人 この間でゆれる波のようですね。人って。
Posted by ぷ~すけ at 2011年09月04日 10:29
おはよう
ございます

きっとお2人は
シンクロナイズしてるに

まちがいないですね
(笑)

今日のお話も
とても
勉強になりました

アイデンティティー

今日はこの言葉を
覚えましたよ

(・∀・)ノ☆
Posted by あるとない at 2011年09月04日 10:30
「知らん」、達磨さんは面白いですね
(●^o^●)
Posted by 直弘 at 2011年09月04日 10:33
本当に心の底から、大自然の調和の中にあって誰でもない、何でもない、問題ないと思えれば、むちゃくちゃ楽になれそうですね。
(*´∀`*)
Posted by 森の香り at 2011年09月04日 11:00
「自分」というのは「自然」の「分身」だから「自分」

単独の実体としての自分は、思いの中の幻想

自分探しの旅の終わりの安息の地は、これといった自分は無いことに気づくこと

自然、さらには宇宙の分身・パートとして、一つの命に生かされている「自分」を体感

「天地と我と同根、万物と我と一体」の境地に帰る

その「自分」は、畑のナスと同じように、自らを語ることも解釈することも要しない「あるがまま」の自分

自分が誰なのかを知ることを、自我同一性(アイデンティティ)を確立すると言う

自分は、他の誰でもない、まぎれもなくユニークな自分自身であり、現在の自分が何者であるか、将来何でありたいかを自覚すること、つまり自分を発見することがアイデンティティの確立

「お前さんは何ものなのですか?」

「知らん」

天地・宇宙と一つの空(無)の自己

タマネギの皮をむいては捨て、むいては捨てして、何も残らないようなもの

一切放下(いっさいほうげ)とか、身心脱落(しんじんだっらく)

元々何も無い「空」・「無」の境地に安心してほっこりしていれば、くずれたり失ったりするものは何もない

「無一物中無尽蔵(むいちもつちゅうむじんぞう)」

アイデンティティー
アイデンティティとは自分が自分に語るストーリー。

arigarougozaimasu
Posted by 品玄 at 2011年09月04日 11:30
阿部さんとこで向っさんのコメント見ました。^^
時間が朝の4時だったんで、さすがだなって思いました。笑

自己の確立って大切なんだって教育されてた気がします。
精神世界を知ってから、今までの常識が全く逆な事が多くてびっくりします。

生きてばいいことありますね。(^^)
Posted by 由未 at 2011年09月04日 12:08
カボチャの花だと思います。

無(零)の世界から有を生み出すには
+と-に分かれる事で 同量の有が生まれるのでしょうか?
陰と陽とも考えられますが
対になると無になってしまう事から
員の世界の物から見ると陽は悪とも考えられます。
陽の立場からもやはり同じ?
善と悪はそんな対立かも?

自分が何であるかは対する人や周りの環境で変わるのかも知れませんね。
Posted by しか225しか225 at 2011年09月04日 13:08
こっさん、こんばんは!

「自然」の「分身」が「自分」なんて
素敵な考えですね。

全ては一つで、何もない。

そこで、ほっこりとくつろぐ時間を
多く持ちたいです。
Posted by うもも at 2011年09月04日 18:28
しらんっ


愉快痛快っす(≧∇≦)
Posted by りく at 2011年09月04日 21:26
初めまして、こっさん
これからじっくり勉強させて下さいね

かぼちゃの花かなぁ
Posted by まーちゃん at 2011年09月04日 23:59
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