2011年08月13日10:59
死について②ー父の死≫
カテゴリー │仏教・禅思想
私がリアルな人の死に出合ったのは、高校3年生の時、父が心筋梗塞で目の前で急死したのが初めてです。
当時46歳の働き盛りだった父は、その日の朝も、役所に出勤しようと家を出ました。しかし、すぐに気分が悪くなって引き返して床をしいて、眠る間もなく苦しみだし、わずか2,30分のうちに断末魔のうめき声をあげて、あっけなく家族の目の前で死にました。
私は、前日までの元気だった父、急病の発作に苦しむ父、不思議と安らかな死に顔の父、お骨と化した父と、わずか数日のうちに、リアルな人の死に至る過程を経験したわけです。
今まで、枕経で幾人もの亡くなった人の顔を拝見しました。
5年、10年と寝たきりの病気になって死を迎えた人、
40、50代の働き盛りで、ガンで急激に衰弱して亡くなった人、
百歳近くまで長生きをして、眠るように大往生した人と、
人によって、死に至る過程はさまざまですが、枕経で拝見する顔は、どのお顔も不思議と安らかな表情でした。
医学的にも、死の直前は低酸素・高二酸化炭素状態になって、脳内モルヒネが多く出され強い鎮痛作用をもたらし、多幸感につつまれ死に臨むことが出来るそうです。
胎児が狭い産道を通り抜け、「オギャー!オギャー」と生まれ落ちて肺呼吸を始める誕生のメカニズムと同じように、臨死のメカニズムも、神の業としか思えないような不思議なものです。
「生死は すなわち仏の御いのちなり」(道元禅師)と言われるように、生死のプロセスは。まさに「あるがまま」の神仏のプレゼントなのです。
ですから、私にとって父の急死は、「あるがままの命・生死」に目を開く、きっかけとなった、父からの最後のプレゼントと受けとめています。
親しい人の、病み、老い、死ぬという、あるがままのリアルな過程に立ち会うことは、辛くて悲しいことですが、大人にとっても子供にとっても、大切なことだと思います。
当時46歳の働き盛りだった父は、その日の朝も、役所に出勤しようと家を出ました。しかし、すぐに気分が悪くなって引き返して床をしいて、眠る間もなく苦しみだし、わずか2,30分のうちに断末魔のうめき声をあげて、あっけなく家族の目の前で死にました。
私は、前日までの元気だった父、急病の発作に苦しむ父、不思議と安らかな死に顔の父、お骨と化した父と、わずか数日のうちに、リアルな人の死に至る過程を経験したわけです。
今まで、枕経で幾人もの亡くなった人の顔を拝見しました。
5年、10年と寝たきりの病気になって死を迎えた人、
40、50代の働き盛りで、ガンで急激に衰弱して亡くなった人、
百歳近くまで長生きをして、眠るように大往生した人と、
人によって、死に至る過程はさまざまですが、枕経で拝見する顔は、どのお顔も不思議と安らかな表情でした。
医学的にも、死の直前は低酸素・高二酸化炭素状態になって、脳内モルヒネが多く出され強い鎮痛作用をもたらし、多幸感につつまれ死に臨むことが出来るそうです。
胎児が狭い産道を通り抜け、「オギャー!オギャー」と生まれ落ちて肺呼吸を始める誕生のメカニズムと同じように、臨死のメカニズムも、神の業としか思えないような不思議なものです。
「生死は すなわち仏の御いのちなり」(道元禅師)と言われるように、生死のプロセスは。まさに「あるがまま」の神仏のプレゼントなのです。
ですから、私にとって父の急死は、「あるがままの命・生死」に目を開く、きっかけとなった、父からの最後のプレゼントと受けとめています。
親しい人の、病み、老い、死ぬという、あるがままのリアルな過程に立ち会うことは、辛くて悲しいことですが、大人にとっても子供にとっても、大切なことだと思います。
この記事へのコメント
今までの人生の中で亡くなる前の人との出会いがありましたが
その記憶の中でもものすごく穏やかな顔をされていました
そのせいか私の中では死は恐れるものではなくもっと大切なもの
という感覚があります
今日の記事に書かれていた「どのお顔も不思議と安らかな表情でした。」
という言葉に改めて納得し安心しました
ありがとうございました(●^o^●)
その記憶の中でもものすごく穏やかな顔をされていました
そのせいか私の中では死は恐れるものではなくもっと大切なもの
という感覚があります
今日の記事に書かれていた「どのお顔も不思議と安らかな表情でした。」
という言葉に改めて納得し安心しました
ありがとうございました(●^o^●)
Posted by 直弘 at 2011年08月13日 11:33
僕も父の死が生きる事の意味を考えるきっかけでした。
今すぐにも人生を去って行くことのできる者のごとくあらゆることを行い、話し、考えなさい。(マルクス・アウレリウス)
今を生きるとはこの瞬間を生きる事じゃないかと思いました。
今すぐにも人生を去って行くことのできる者のごとくあらゆることを行い、話し、考えなさい。(マルクス・アウレリウス)
今を生きるとはこの瞬間を生きる事じゃないかと思いました。
Posted by ぷ~すけ at 2011年08月13日 12:02
和尚様
正法眼蔵は、現代語訳を持っていますが、無神論的な現代語訳なので、あまり読まなかったのですが、今度読んでみます。
タントラへの道は、英語版を読んでいます。ナローパさんかマルパさんのどちらかがチベットからインドへ行き、また、チベットに戻り、再び、インドへ来て、教えを得た等のあたりを読み終わりました。チベット僧の悟りへの真剣さはすごいと思いました。
死はとても怖いです。
正法眼蔵は、現代語訳を持っていますが、無神論的な現代語訳なので、あまり読まなかったのですが、今度読んでみます。
タントラへの道は、英語版を読んでいます。ナローパさんかマルパさんのどちらかがチベットからインドへ行き、また、チベットに戻り、再び、インドへ来て、教えを得た等のあたりを読み終わりました。チベット僧の悟りへの真剣さはすごいと思いました。
死はとても怖いです。
Posted by 風に揺れる葦 at 2011年08月13日 12:35
私は父親を肺癌で亡くしているのですが、悲しみの後に自分の生き様、死に様を考えさせられました。
しかし、最近あまり拘らなくなりましたよ。(^^ゞ
しかし、最近あまり拘らなくなりましたよ。(^^ゞ
Posted by 森の香り at 2011年08月13日 14:36
こんにちは♪ こっさま
お盆の入りに、お父様の死を書き出されたのも、何かの縁かもしれませんね。
現代は、死がより遠くにあるように思えてしまいますが、本来死とは、どう生きるかを見せていただくものだと思います。
いまここを生きる奇跡を、本当にありがたく感じています。
そして、死をも超えた魂の存在も私自身、よく感じています。
お盆で帰られるだろう無数の魂が、穏やかな暖かい光に包まれますように。
続きを楽しみにしています♪
お盆の入りに、お父様の死を書き出されたのも、何かの縁かもしれませんね。
現代は、死がより遠くにあるように思えてしまいますが、本来死とは、どう生きるかを見せていただくものだと思います。
いまここを生きる奇跡を、本当にありがたく感じています。
そして、死をも超えた魂の存在も私自身、よく感じています。
お盆で帰られるだろう無数の魂が、穏やかな暖かい光に包まれますように。
続きを楽しみにしています♪
Posted by 南国でQ♪ at 2011年08月13日 15:19
お父様のことをはじめ
言葉では現せないほどの
体験、学びをされていらっしゃるんですね
お話しいただき
非常に学びにさせていただいています
輪廻については
今世で自分なりに、たくさんの学びの体験をできたと感じています
学びは永遠ですが…
少なくとも、生死にもこだわらなくて済むようになってきました
もう、輪廻はおしまいに出来るかなぁ…と、三十路で思えるのは嬉しいことです(勘違いでしたら、照れ笑いで来世もやりますが(笑))
いまを感じ
今世だけで充分…
苦からは抜け出せる…
存在自体がしあわせ…
そして、輪廻より出で、来世を無くすための仏道(…と、理解しておりますが…仏の教えも素人で、間違っていたら申し訳ありません)
なぜ
よりよい来世…
ご利益…
極楽…
葬式…
などとなってしまったのか
お話しを伺えたら、幸いです
いつも、大変ありがとうございますm(_ _)m
言葉では現せないほどの
体験、学びをされていらっしゃるんですね
お話しいただき
非常に学びにさせていただいています
輪廻については
今世で自分なりに、たくさんの学びの体験をできたと感じています
学びは永遠ですが…
少なくとも、生死にもこだわらなくて済むようになってきました
もう、輪廻はおしまいに出来るかなぁ…と、三十路で思えるのは嬉しいことです(勘違いでしたら、照れ笑いで来世もやりますが(笑))
いまを感じ
今世だけで充分…
苦からは抜け出せる…
存在自体がしあわせ…
そして、輪廻より出で、来世を無くすための仏道(…と、理解しておりますが…仏の教えも素人で、間違っていたら申し訳ありません)
なぜ
よりよい来世…
ご利益…
極楽…
葬式…
などとなってしまったのか
お話しを伺えたら、幸いです
いつも、大変ありがとうございますm(_ _)m
Posted by のり at 2011年08月13日 22:52
突然、意味のない場面が3つ4つパッパッと浮かんだとき、「理屈を超えた理解」がやってきます。
己のバカさ加減に笑い転げたり、感謝と至福にあふれ涙が噴き出したりします。
臨死体験をした方が自分の一生を早回しで見たということを、読んだり聞いたりしますが、たった3と4つでさえこうなら、一生分の早回しなんか見たら、どれほどの理解がやってくるのでしょう。
きっと、人生のすべてを肯定し、愛と至福と満たされた感覚につつまれたのではないかなと想像します。
講演会で向さんから、亡くなった方が安らかな表情をされていると聞いてから、そのようなことを想っていました。
己のバカさ加減に笑い転げたり、感謝と至福にあふれ涙が噴き出したりします。
臨死体験をした方が自分の一生を早回しで見たということを、読んだり聞いたりしますが、たった3と4つでさえこうなら、一生分の早回しなんか見たら、どれほどの理解がやってくるのでしょう。
きっと、人生のすべてを肯定し、愛と至福と満たされた感覚につつまれたのではないかなと想像します。
講演会で向さんから、亡くなった方が安らかな表情をされていると聞いてから、そのようなことを想っていました。
Posted by HI at 2011年08月14日 10:44
こっさん様、いつも活きるコメントをありがとうございます。
わたしは、同じく高校3年のときに、母を自殺で亡くしました。
生きるとはなんだ・死ぬとは・命とはなんだと考え続けるようになりました。
ずいぶん長い時間を経て、こうしてこっさん様や阿部様のブログにたどり着いた次第です。
おかげさまでいろいろな気づきがあり、多くの思いを手放せるようになりました。
ただ、どこか生きているということに、物悲しさを感じてしまうのです。
どうしたものか…自分のことながら情けなく思います。
こっさん様のご意見伺えたら幸いです。
わたしは、同じく高校3年のときに、母を自殺で亡くしました。
生きるとはなんだ・死ぬとは・命とはなんだと考え続けるようになりました。
ずいぶん長い時間を経て、こうしてこっさん様や阿部様のブログにたどり着いた次第です。
おかげさまでいろいろな気づきがあり、多くの思いを手放せるようになりました。
ただ、どこか生きているということに、物悲しさを感じてしまうのです。
どうしたものか…自分のことながら情けなく思います。
こっさん様のご意見伺えたら幸いです。
Posted by liebe at 2011年08月14日 21:40
先日、階下のおばあさま(84才)が他界されました…
留守中の、あまりの突然の出来事にどうしていいか戸惑いました…
引っ越して、少しの関わりしかないおばあさまでしたが、こっさまのブログに、“死は最期のプレゼント”とあったのを思い出し、一人、お通夜に車で行きました!
好きに生きたおばあさまのお顔は、きっぱりとして安らかでした。
『思ったとおりに生きたらいい。』
そんな悟りをプレゼントして戴きました!
送った方も、送られた方もご立派でした。
延命治療はしないと、ご家族で話し合いをし、見送りをされたそうです。
ちょっとだけ、死と触れた体験でした。
留守中の、あまりの突然の出来事にどうしていいか戸惑いました…
引っ越して、少しの関わりしかないおばあさまでしたが、こっさまのブログに、“死は最期のプレゼント”とあったのを思い出し、一人、お通夜に車で行きました!
好きに生きたおばあさまのお顔は、きっぱりとして安らかでした。
『思ったとおりに生きたらいい。』
そんな悟りをプレゼントして戴きました!
送った方も、送られた方もご立派でした。
延命治療はしないと、ご家族で話し合いをし、見送りをされたそうです。
ちょっとだけ、死と触れた体験でした。
Posted by ひろ at 2011年08月14日 22:45
80代後半の両親を介護しています。
父は、20年ほど前に心筋梗塞になりましたが、幸い一命をとりとめました。
現在、進行性の脳麻痺のため、入院中です。母は、肺癌の治療を受けています。
両親の老いを見つめながら、最近、生きることの意味をよく考えます。
この年になっても両親が元気な時は、いろいろと心の中で反発ばかりしておりましたが、ここ最近によってようやく、両親が「在る」、「存在している」こと自体が愛であると思えるようになりました。
すべてが一期一会、
そのように思えるときも多くなりました。
また、死の直前は、多幸感に包まれるとのこと、
これを聞いて安心いたしました。
生きること自体が苦しみではないか、などと思うときも多いですが、
それと同時に、生きること自体がかけがえのない愛を体験できる場、
そう思えるときもあります。
とりとめもないことを書いてしまいましたが、毎日ブログを拝見し、
たくさんの気づきをいただいております。
ブログが更新されるのを楽しみにしております。
父は、20年ほど前に心筋梗塞になりましたが、幸い一命をとりとめました。
現在、進行性の脳麻痺のため、入院中です。母は、肺癌の治療を受けています。
両親の老いを見つめながら、最近、生きることの意味をよく考えます。
この年になっても両親が元気な時は、いろいろと心の中で反発ばかりしておりましたが、ここ最近によってようやく、両親が「在る」、「存在している」こと自体が愛であると思えるようになりました。
すべてが一期一会、
そのように思えるときも多くなりました。
また、死の直前は、多幸感に包まれるとのこと、
これを聞いて安心いたしました。
生きること自体が苦しみではないか、などと思うときも多いですが、
それと同時に、生きること自体がかけがえのない愛を体験できる場、
そう思えるときもあります。
とりとめもないことを書いてしまいましたが、毎日ブログを拝見し、
たくさんの気づきをいただいております。
ブログが更新されるのを楽しみにしております。
Posted by debe at 2011年08月15日 16:42
こっさまのお父様は、今こうして、こっさま以外の人たちにも、生死のプロセスについて考えさせてくださっている…、ひとりひとりが尊い存在なのですね。
Posted by eagle at 2011年08月16日 12:38
※このブログではブログの持ち主が承認した後、コメントが反映される設定です。