空について

カテゴリー │仏教・禅思想

今回から少しおもむきを変え、禅の修行の根本原理である重要な思想、「中観―空の論理」と、心についての深い洞察「唯識(ゆいしき)」の教えについてお伝えします。

自動車を運転するのに、車の基本構造を知ることで、安全にドライブを楽しめるのと同じように、
私たちが生きていくのに、命の存在の基本構造を知っておくことで、苦しみや問題にうまく対処し、心安らかに楽しく暮らせるようになります。

少々難しくなるかもしれませんが、がまんして付き合ってください。
なお、仏教についてもっと深く知りたいという人には、『インド仏教の歴史―「覚り」と「空」』(竹村牧男著、講談社学術文庫)がお勧めです。


般若心経の説く「空」の理論は、龍樹・ナーガールジュナ(150―250ころ)によって大成されました。
龍樹は、「八宗の祖」と呼ばれるように、大乗仏教思想の淵源とよぶにふさわしい哲学者です。

龍樹の主著『中論』の詩句を紹介しながら、縁起と空について学んでいきましょう。


無知なる者は、生死輪廻の根本である諸々の行為(サンスカーラ)を営む。
したがって、無知なる者は、(業)を作る者である。
知者は(業を作る者では)ない。真実を見るからである。

無明が滅したとき、諸々の行為の産出はない。一方、無明の滅することは、知によるこれ(縁起)の修習からくる。



あるがままの真実から、私たちを遠ざけているのは、行為(サンスカーラ)であるということが、はじめに言われています。

サンスカーラとは「好むと好まざるに関わらず、対象を捉えようと対象に向かって無意識に(自分勝手に)働きかけていってしまう潜在的な力、形成力」です。

したがって、私たちの自分やまわりの事物に対する理解は、潜在意識によって色づけされた「思い込み」の産物であるということになります。


私自身この頃、自分の物事の見方は、一定の傾向性があってループしているなと感じています。

要するに、坊主くさい思考であり、坊主的な見方の限界を感じているのです。


さらには、集団的なサンスカーラがあるように思います。世代によって、時代によって知らずしらずのうちに、潜在意識にうめこまれた物事のとらえ方があるようです。


例えば、今の管首相や鳩山さんには、大学紛争を経験した私と同世代の思考の傾向性があるようですし、第二次世界大戦を経験した世代でも、小学校ぐらいで終戦をむかえた世代と、すでに成人していた世代とでは、物事のとらえ方が違うようです。


戦後の日本は、アメリカに追いつけ追いこせで突き進んできましたから、アメリカ的な資本主義の価値観に大方の人が色づけされているでしょう。
これも世代によって違うと思いますが、自己の欲望を肯定し自分のことを中心に考えようとする傾向が強く、国のため公のためを、思考の中心においている人は少ないだろうと思います。

でも、この思考の傾向性は戦後わずか60数年のことで、私たちがタイムスリップして、戦前のある時代を生きたとしたら、その社会から異端視されて生きにくいことが多々あるだろうと思います。


ですから、肯定的であれ、否定的であれ、自分と自分のまわりについての理解が、潜在意識から形成された「思い込み」の産物だと達観することが大切です。


優越感にしろ、劣等感や悩みにしろ、多くはサンスカーラによる「思い込み」の産物なのです。

結論的に言うと、禅は「不思善、不思悪」〈善も思わない、悪も思わない)という生き方です。

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この記事へのコメント
こっさま、おはようございます。
わかりやすい言葉で伝えて下さってありがとうございます。

今のところついていけてますよ!
Posted by 歌丸 at 2011年08月09日 05:28
おはようございます。
はい、わたしもなんとかついていってます。

自分の見方の癖に氣づいてきています。
すごくタイミングのよい教えです。

これからも続けてください。
Posted by Kimi at 2011年08月09日 06:22
「親ガラス旅にいゆけば、子ガラスもともないてゆけ、羽よわくとも」をもじって、、
「親ガラスお話すれば、ちびガラス、羽をパタパタ、ワクワク、ワクワク」カァ、カァ、カァー、
Posted by jinjippo at 2011年08月09日 07:15
禅は「不思善、不思悪」とは理解しやすくそうやって考えた方が生きやすいのは理解できますが

出来事に対して人が感じることは一概に「不思善、不思悪」だけに分けることはできないのではないでしょうか人の数だけ感じかたがあるし
そのことを良し悪しだけではかたずけられない気がしています

全く違う、人それぞれの感じ方を認め受け入れることで自分の幅も広がっていくような気がします(●^o^●)
Posted by 直弘 at 2011年08月09日 08:29
全てはこだわりであった。

全てはあるがままで完璧であった。

そんな事今日の記事から思いました。
Posted by ぷ~すけ at 2011年08月09日 09:04
こっさま、おはようございます。

今日のお話も興味しんしんで読みました。
善くも悪くも思わない・・・

次回も楽しみです。
Posted by ブルーエンジェル at 2011年08月09日 10:42
こっ様

ご教授ありがとうございます。

「自我による思い込みのあれこれを見抜くことに努め、善も悪も問わないという姿勢で、いまここのあるがままに心を込めよう。」と思います。

では、これからも更新楽しみにしております。
Posted by ロータス at 2011年08月09日 12:37
最近仕事が忙しくて、こちらには久しぶりです。^^
潜在意識についてはいろいろ考えさせられました。
確かに、思考の癖ってありますよね。
それがどこから来るものなのか、まず気づくことが大切ですね。

全体性から見れば、すべてはあるがままですよね。
「不思善、不思悪」とは何も判断しないあるがままってことなんでしょうか。

「行為」とは私的には「カルマ」なのかなって思いますけど、時代の背景、集団的なものなんかもあるんですね。
そうした、移り変わるものの中で、唯一変わらないものを見いだした時、また、それをなるべく持続できた時、心からの安らぎを得られるんですね。
Posted by 由未 at 2011年08月09日 13:12
こっさま~♪

いつも更新ありがとうございます。
『空について』すごく分かりやすく入ってきました。

静岡も暑さがぶり返してきましたね。ここへ判断入れることなく、いまここを楽しみたいと思います!

またきま~す☆ 今日もみなさまよい夕刻を♪
Posted by 南国でQ♪ at 2011年08月09日 15:52
楽しく、ウムって頷きながら毎回読ませていただいています。

ありがとうございます。

よろしければ質問させて下さい。

本来、人や動物、植物にも備わっているとおもわれる本能(色々な種類があるとは思いますが)といえるものは仏教ではいかような位置づけになっているのでしょうか。

お時間があればお教え願います。
Posted by すみ at 2011年08月09日 18:55
和尚様

知者とは、見性を得られた和尚様のような方でしょうか?
それとも、もっと、上の菩薩のような方でしょうか?

知者になるには、修行を積み、座禅をするということで正しいですよね?
Posted by 風に揺れる葦 at 2011年08月09日 20:44
繰り返し繰り返し読んで、理解を進めつつ、言葉を覚えつつあります。
楽しいなあ〜
全体を整理して自分自身に修めやすくできるように噛み砕いています。このプロセスがいいんだよー
Posted by jinjippo at 2011年08月10日 00:44
こっさま、時間が空いてしまいましたが、4月の浜松でのコラボ講演会で

はいろいろありがとうございました。 あの時の阿部君の同級生です・・。

覚えていらっしゃいますでしょうか?( そうです、座禅を組むと言ってる

のにスカートで行ってしまうおっちょこちょいのおばさんです。)

あれ以来、こっさまのファンとして、最近はこちらのブログにもおじゃまさ

せて頂いてます。


「いまここ」が分かりそうで分からないまだヒヨコですが、少し前に紹介

された精神科医の神谷美恵子さんの言葉は・・・かなり届きました。

     「私の一生はただ恵みをうけるための器であった」

・・この言葉には、しばらくパソコンの前で動けませんでした。

あの日から、日々の中で時々この言葉を思い出す様にしています。

神谷さんの本も読ませて頂きました。

すてきな記事をありがとうございました。

(今頃このコメント・・・すいません反応が遅くて。・・・笑)


こっさまに引き合わせてくれた阿部君に感謝です。

(本人に言わずにココで言う・・・・・笑)
Posted by mori at 2011年08月10日 10:50
サンスカーラという言葉のところで立ち止まっています。日本語訳の「行為」のイメージがわかなくて。「行動」の方がわかりやすいかなあ、とも思ってみましたが、私の今の感性では原語のサンスカーラが把握しにくいです。「サンスカーラとは、好むとこのまざるにかかわらず対象をとらえようと無意識に働きかけていってしまう潜在的な力」なんだ。具体的なイメージがいまいち湧きにくいが、なんとなく理解出来ている気がする。
「従って、私達の周りは、潜在意識によって色づけされた「思い込み」の産物」。分からないが分かる。
又、「行為」が生死輪廻とどうつながるのか?行為→業→生死輪廻という図式でいいのかなあ、しかし「いまここの真実」を知るものが知者であり、その行為(サンスカーラ)によって業を作り生死輪廻を免れえないのが自分ならば、、、そうか、これが「無明」の中にいるということなのか。「無明」が滅すると行為(サンスカーラ)は産まれない。従って「業」も産まれない。「無明」を滅するためには修習しなければならない事がある。それが知による縁起である。っていうことか。ならば、知による縁起の修習はいかにして?又、この「知」とはいかなる知か?そんなことが段々分かってくるんデスネヤット次のブログヲヒラケマス
Posted by jinjippo at 2011年08月14日 21:32
もともと存在しないものに、「思い込み」が勝手に作り上げているだけなんですね。

善とも思わぬ、悪とも思わぬ。

自分が正しいと思い込んでいるモノ、たくさんあるなぁ。
Posted by eagle at 2011年08月16日 13:44
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