お盆をむかえて

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「人間に希望があるとすれば、過去の充実にある。」

最近読んだ本、「ベンヤミンの歴史哲学テーゼ精読」のなかで
この言葉に出会いハッと気づかされたことがあります。

還暦をむかえ、さて将来の夢は希望はと自分に問いかけても、
将来に何の希望もないまま、ノホホンとしている自分に
「こんなのんびりしてていいのかなー」と少々困惑していたところなので、
この言葉には衝撃をうけました。

希望といえば未来にむかうものとばかり思っていたのが、
過去にむかい過去を充実することが希望だというのですから。

この言葉を自分なりに解釈してみると、
希望とは、祖父母や父母、恩師や禅の先輩など、
今までにお世話になり恩愛をいただい方々との出会いを充実させることだろうと思います。
そうした方々が、
「よくがんばってるね、ありがとう!」
と拍手し喜んでくださるように生きることが希望なのです。

これからお盆を迎える地方も多いとおもいますが、
迎え火を焚いて先祖をお迎えし、親類縁者が集まってご馳走や踊りで歓待する…、
このお盆の行事は、ご先祖の命と生死を超えて交わることで過去を充実し、
希望を新たにする行事といえます。

坐禅もまた、心の源に、永遠の命に回帰する行ですから、
過去を充実することでもあります。

禅の語録「無門関第一則」には、無字の関門を通りお悟りを開くことを、

「若し人あってこの関門を透ることができれば、
その人は親しく趙州和尚と見えることができるのみか、達磨をはじめとする歴代の祖師たちと、手に手をとって歩き、互いの眉毛が引っ付く程に親しくなって祖師たちの見たその眼ですべてを見ることができ、同じ耳ですべてを聞くことができる。真にあっぱれなことではないか。」
と賞賛しています。

現代社会は、前へ前へと進むばかりの単純な進歩主義の空虚さ・闇をあらわにしています。もうそろそろ、進歩主義の幻想から目覚め、自分の心の源へ回帰し、過去を充実することに、ご先祖と手に手をとって歩き踊ることに喜びを、希望を見出す時でしょう。

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