いまの自分を超える(続)

カテゴリー │仏教・禅思想

いまの自分を超える(続)
          【奥山の青空と白雲】


久しぶりに、方広寺の禅堂で坐りました。

奥山の雨上がりの青空に、
白い雲が浮かんでいました。

私たちの命は、
どこまでも広がる青空と、
浮かんでは消える白い雲に似ています。

青空は、変わることのない本来の自己。
白雲は、その時々に形を変える意識された自己です。


21歳の時、参禅修行によって本来の自己に出会い、思いのないあるがままの地平に回帰できた私は本当に幸せ者です。

あれから45年…、
本来の自己は変わりません。
でも、社会の中で意識する自己は変化してきましたし、自分であえて変わろうとしました。

青空を背景に、
自由に雲の形(成りたい自分)を描く。
そこに人生の面白さがあると実感しています。

今の自分を超えるには、
成りたい自分を定義することです。
そうすると、今の課題がより明らかになります。


例えば、
私は長い間、禅僧=出家という従来の定義にとらわれ、「出家」に成りきれていない自分にフラストレーションを感じて「坊主をやめようか」と思ったりしました。

ある時、
言葉でどんなふうに定義しようと自由なんだと気がつきました。
臨済の「無位の真人」は一切の価値づけから自由なのですから。
そこで、
「出家」という定義は消し去って、「禅のプロ」と自己定義することにしました。
現代の日本において、ほとんどの僧侶は肉食妻帯して一般と変わらない生活をしているのですから、「出家」という定義は自分を偽ることになります。
「禅のプロ」と定義したほうがずっと健全で社会的に活動しやすいのです。

さらに5,6年前から、
「禅アスリート」と自己定義することにしました。
方広寺開山無文元選禅師でも空海でも、修行の足跡をたどると、驚くほどの健脚であり野性的なアスリートです。

「禅のプロ」である禅僧は、
坐相がぴしっと決まり、肚から朗々と読経でき、掃除等作務も身軽に行えるはずです。
その為には、日常的にそこそこ体幹の筋力を養い、身体を柔軟に調えておくことが大切です。
そういうことに気がついて、
「禅のプロ、禅アスリート」と自己定義してみると、「出家」という旧来の定義では意識されない課題が明らかになってきます。


さらに、いまの自分を超えるため、
今度はどんなふうに自己定義してみようかと思案中です。

もちろん、
「何者でもない自分が良い」と思う人は無理することはありません。
大いに、天地いっぱいの青空の自分を楽しんでください。




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