供養について②ーマカエンの禅定

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自我意識をシフトして宇宙意識(天地いっぱいの無の境地)に転換し宇宙生命(仏の御命)に生かされ生きることは、
「供養」だけではなく何事においても、真実に生きるための基本的なスタンス(姿勢)です。


では、自我意識のとらわれをなくし心を浄化するにはどうすれば良いのでしょう…。

キーワードは「マカエン(大乗)の禅定」(白隠禅師坐禅和讃)です。

白隠禅師は、
「マカエンの禅定」は、布施、持戒、念仏、懺悔等々…、
あらゆる善い行いの根本であって、これほど素晴らしいものはないと賛嘆しています。

マカエン(大乗)ですから、
自分だけではなく皆の幸せを願う利他の心からするということです。
次に「禅定」ですから、
「いまここ」の目の前の事を、身心統一して落ちついて心をこめて行うということです。


以上「マカエンの禅定」が最高の善行であることをふまえて三周忌七周忌といった法要について考えてみましょう。

こうした年忌法要を追善供養と言います。
つまり、生きている人が善行をして、その功徳を故人に回し向ける、つまりプレゼントして冥福を祈ることです。

そこで、最高の善行は「マカエンの禅定」ですから、年忌法要はお坊さんだけが読経してお家の人や親族は坐って聴いているだけ
では不十分だということになります。

お坊さんを中心に参列者皆で、お釈迦さまや故人への感謝の気持ち、皆の幸せを願う気持ちで共に成り切って読経する、
つまり「マカエン(大乗)の禅定」を実践することで皆の心とその場が浄化されることが大切なのです。


出家・在家の区別を超えて共に真実の道を行く「大乗」の大きな乗り物ですから、お経は皆で唱和したいものです。
そうすることで、家族や親族皆の過去から今につづく命の絆を確認することになります。

もちろん、お経にはそれぞれ意味があります。
前もって意味を理解したうえで、読経するときは三昧に成り切って唱えるのが一番良いでしょう。


法要にかぎらず日常生活でも、皆の幸せを願いつつ善いことを成り切って行う「心の浄化」の実践が大切です。

七仏通戒偈(しちぶつつうかいげ)に、
「もろもろの悪を行うことなく、もろもろの善を行い、心を浄らかにしなさい。これが、もろもろの佛たちの教えです。」とある通りです。








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この記事へのコメント
「マカエンの禅定」
今日はこれをテーマに、過ごしたいと思います。
一日こだわってみて、少し身につけて、明日も明後日も、自然と身につくまで、やってみようと思います。
色々「こだわりたい」こと(実行したいこと)はあるのですが、すぐに忘れてしまうので、今日はこの方法でいってみようと思いますっ!

いつも易しい言葉で説いてくださるこっさんに、とても感謝しております。
今日もとても分かりやすかったです。

合掌
Posted by 雅蔵 at 2013年07月07日 16:58
「供養」という事柄から、少し離れてしまっていました。
思い出させて頂きまして 有難うございます。

スピリチュアルなブログばかり追っかけていましたので、
ついつい知識をため込むのに躍起になっていたようです。

先月は祖母が亡くなって5年目の命日がありました。

5年前、父は病で入院しており、祖母の葬儀は出れませんでした。
代わりに私が喪主代理を務めました。

父は祖母に溺愛されながら育ったそうです。当時、父の心中を察したものでした。

そんな父も病はすっかり治り、今では畑仕事に精を出しています。

現象は幻とは言うものの、

身内の生死から感じることは多いものですね。
Posted by アラフィフオヤジ at 2013年07月08日 17:40
本当に、、、身内が人生の心を培う修行道場のように感じます。
Posted by jinjippojinjippo at 2013年07月09日 13:12
追善供養とは

生きている人が善行をして、その功徳を故人に回し向ける、つまりプレゼントして冥福を祈ることです。

そういう意味があったのですね。私はこれまで、ただその時がきたからそうするものだという意識しか持ちませんでしたが、父のおかげで初めてその意味を知る事ができました。 多分母も知らないと思います。 今度話してみます。

普段は自分だけでも、 親戚や兄弟が集まるその日は大きなプレゼントができ父も喜んでくれると思います。 父の死は私に色んな事を教えてくれています。

ありがとうございます。
Posted by 1943 at 2013年07月29日 05:48
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    コメント(4)