禅と氣功法③

カテゴリー │仏教・禅思想


    ”What am I?”

    「私は何か?」を体得すること。

なぜ参禅修行するのですかと、ドイツ人に訊いてみると、
決まってこう答えます。


このように、「私は何か?」、「本来の自分は何か?」を、
言葉をたよりに考えて分かろうとするのではなく、
思考を手放して、最高に身心統一した「禅定」において体得しょうとするのが禅の道です。


一週間不眠不休で坐って「禅定」に入り、
忘我の状態に至って体得されること。

それは、宇宙に充満する「氣」の生命エネルギーと一つに溶け込んだ「天地いっぱい」の自己です。

臨済禅師の(形もなく姿もなく、根もなく本もなく、場所も持たずに、ぴちぴちと躍動している)「心」を「氣」と理解すると、
宇宙に充満する「氣」・「浩然の氣」を体得し、全身に自由に行きわたらせ「活溌溌地」に働かせることが禅の道であり、氣功の目的でもあるということになるでしょう。

このように、「氣」が何ものにもとらわれず滞ることなく、伸び広がる「無心」なあるがままの状態でいることが健全なのです。

逆に、心が何かにとらわれて「氣」が滞ると身心の病となります。

地位、名誉、面子、財産、知識、価値観、肉体、物等々…、
何かにとらわれ拘泥すると、
本来の自己の「活溌溌地」の自由自在な働きが失われます。


赤子のような、
無邪気で無心な本来の自己で生きると、
人生は実に愉快ですよ。


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この記事へのコメント
素敵ですね(^O^)
Posted by くんちゃん at 2013年06月01日 14:08
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