皆さんも考えて

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14日から2泊3日で、門ちゃんこと堀澤祖門師の主催している「釈の会」に参加するため比叡山に行ってきます。

今回の講師は、雲ちゃんこと雲黒斎氏です。

そこで、今日一日かけて「あの世に聞いた、この世の仕組み」(雲黒斎著・サンマーク出版)を読みました。

とても面白かったし、「さすが分かりやすく書いてるな!」と感心しました。


「釈の会」の講演に先立って、門ちゃんから雲ちゃんに下記のような質問がありました。

要約して紹介すると、

“阿部ちゃんや雲ちゃんの言う「いまここ」は、
一元絶対(相対を絶する)の世界であり、
「あの世とこの世」というのは二元相対の世界と思うが、
一元絶対の世界と、二元相対の世界をどう捉えますか?”
ということです。

雲ちゃんや阿部ちゃんの素晴らしいところは、

自分自身の体験を掘り下げ、既成の権威に頼らず、
自分自身で考えつづけてきたところだと思います。


「あの世とこの世」、「死後の世界」、「肉体と魂」等々は二元の世界ですね、

そして、あるがままの「いまここ」は全一の一元の世界です。


この、一元の世界と二元の世界、

どう捉えたらよいのでしょう…?

私の比叡山に行くまでの宿題です。


阿部ちゃんや雲ちゃんを見習って、
皆さんも自分自身で考えてみてください。






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この記事へのコメント
初めまして♪
全て、自分を現すので、肉体がある時のこの世… 肉体が無い時のあの世…も同じ意識の世界(@_@)…すみませんm(_ _)m
わかりません…m(_ _)m
Posted by 羽鳥明美 at 2013年03月11日 21:49
いつも興味深く拝見させていただいてます。

雲ちゃんのことはよくわかりませんが、私が思うのは、
「あの世」も「この世」も、実は境がないのではないか?
ということです。
こころが十方三世に広がるとき、それはあの世とこの世の境が取れている時
ではないでしょうか?

もちろんこの世は体がありますから、制限されますけどそれがこの世の醍醐味ではないかとも思います。
制限の中にいながら、こころは十方三世に広がっている・・・
そんな日常を過ごしたいと、こっさんのブログを読んでいて思います。

坐っていると、あの世とかこの世とか、私とかあの人とか、これとかあれとか、いろいろな境が消えていく感じがします。

これからもブログ楽しみにしています!
Posted by こっさんファンです at 2013年03月11日 22:01
ん~難題ですね。


一元の世界は時空間、ジャッヂのないハート、空のスペースからとらえた表現で・・・?
二元の世界はあくまでもマインド、思考から捉えた表現・・・かなぁ~?
う~ん?? 

阿部ちゃん雲ちゃん・・・みなさんの宿題提出楽しみです☆ 

こっさん 楽しいひとときをありがとうございます(*^0^*)
Posted by Devaprem at 2013年03月12日 01:45
思考をつかって理解をしようとすると、どうしてもその理解材料が必要になります。
それは、表を知りたければ裏があることが必要になるのと同じなのかなと思います。

死というものも生が無ければ存在しないし、
あの世も、この世が無ければ存在しません。

これらは、思考が現象を説明するために後付けされた便宜上の建前だったわけです。

この二元がないというのが「いまここ」である。

ちなみに、「いまここ」という言葉にこだわってしまうと、過去や未来とあちらやどちら?
という裏面が見え隠れしてしまってややこしいのですが、そんなものが無かったんだよ!

裏も表も実はひとつ。あの世とこの世の区別もなくひとつであり、
生と死も綿密につながったひとつである。

ただ、意識の焦点を一点にフォーカスしすぎることによって、
全体をとらえられなくなり、見えている部分と見えていない部分がわかれてしまった。

ということが、阿部さんや雲さんのいうところの「いまここ」であると思います。

焦点のフォーカスをゆるめて大きくしてみると、あら不思議、ぜ~んぶひとつだったわけですね。

あなたと私もあれもこれもひとかたまりのただ起こっているエネルギーの現れであり、エネルギーすらもひとつの流れであるわけです。

フォーカスをゆるめて大きくしていけばしていくほど、意識できる次元は上昇していき、全部の関連性が観えてきて、結局ひとつだということが見えてきます。見てる自分すらもその流れの一部であっただけなんです。

カルマと呼ばれる記憶の思い込み、肉体のない魂もエネルギーとして世界を構成する一部になっています。
つまり死はなかったんですね。ただの現れの違いがあっただけで。

じゃあ、なんで二元性の世界が必要だったんでしょう?
退屈した神様が遊んでみたかっただけなんでしょうか??

これは、そうじゃないんですね。
退屈して遊びたがっているのは、肉体を離れ、魂も離れて、もしくは元々肉体も魂も与えられていない思念、しかもかなり高次元化した思念です。高次元化された思念ですから神様だと思うかもしれません。

この思念に出会い同調すると、「あ、神はじぶんだったんだ」という認識になります。
「神は自分で、この世は神が様々なことを体験したいためにつくられたゲームだったんだ」
となるんですね。
こんな思いももっとフォーカスをゆるめていくとただの勘違いだったことに気づきます

そんなところに引っかかるのはやめにしてもっとフォーカスを緩めて上昇していくと、
魂とマインドは大いなるエネルギー(愛のエネルギー)と密接に関連しており、必要な意志だったことが観えてきます。
現実はゲームではなく現実そのものだったんだ。
目の前の現実をしっかりと生きることがこの世の存在の大いなる意義であったんだ。

ってなります。

そうやって旅をして大きく一周して、元に戻ってくるわけなんですが、あとはしっかりと今日を生きることに集中して行けるようになる。

これが、僕の感じた世界観です。
Posted by ash at 2013年03月12日 11:52
孝ちゃん、初めまして。
さっき、孝ちゃんのブログに偶然辿り着きました。私は一般人ですが、禅の言葉が好きです。昨日の記事も素敵でした!
また読ませてもらいますので、よろしくお願いします。楽しみにしてます。頑張ってください!

さて、さっそく一元世界と二元の世界についてコメントさせてください。
直感的な印象ですが、その差は人々の自分の捉え方によって、世界に対するそれぞれの解釈を持っただけではないでしょうか。
私たちが自分を、精神的な存在と考えて生きているか、肉体的と考えているか。それによって、世界の捉え方が変わります。
精神と身体は離せないのですが、『自分のメインである精神が身体も持っている』と考える人と、
『自分は身体がメインで、活動する精神面も持っている』と考える人がいると思います。
前者は世界や全ての状況を「いまここ」で一元的と感じて、後者だと、肉体的な(物質面が勝る)現実に基づいて、あの世とこの世の間とか、越えられない壁を自分で作ってしまって、二元的に感じるのかと思います。
でも、世界自体はただの現象とモノの集まりで、意思はない気がします。善し悪しや、一元的か二元的なのかも、解釈する人の見方次第です。
人間自体も身体と頭脳あるただの生物ですが、心と体のどちらに自分の重心があるかで、精神的か物質的かの考え方も自然に決まるのだと思いました。

そして、ただの現象やモノの世界に、奇跡や幸福をもたらすのが人間の素晴らしい力ですが、
一元的・精神的に考える人々は、二元的・物質的な人々よりも自由な発想で、幸福の力を発揮しやすい生き方をしているかもしれませんね。


…思ったより、長くなっちゃってごめんなさい~(>_<)

比叡山、楽しんできてくださいね!
Posted by Rummy at 2013年03月12日 12:06
こちらにコメントさせて頂くのは初めて…かな?
いつも楽しく拝読しております。

さて、今回のお題、私は『お月様』だと思いました。
普段は光の当たる部分(この世)しか見えませんが、光の当たらない部分(あの世)もあります。
光の当たる面積によって月の形が変わるように、心の状態によって二つの世を見る比重が変わります。
しかし光が当たっているかいないかの違いで、本当は一つであり、別の世界であると捉える事自体がナンセンス。

論点がずれていたら申し訳ないですが、以上が私が素直に感じた事です(^^)
Posted by ☆てふてふ☆ at 2013年03月12日 14:17
難しいお題ですね。

私も大方ashさんの考え方に近いです。
私のはもっと、こう、大雑把で、「全ての分母がいまここ」かな。
あれ、分ける母なんだ?(書いてみて気が付きました)

いつもありがとうございます。
気をつけて比叡山に行って、楽しい時間をお過ごし下さい。

阿部さんと雲黒斎さんにもよろしくー!
Posted by 雅蔵 at 2013年03月12日 16:51
初めまして。
こちらには、「悟後」+「菩薩」のキーワード検索でネット上を彷徨っているうち、たどり着きました。たどり着いてみると、阿部さんのお仲間の向さんのブログでした(笑)。
そしたら、ここのところ私の頭の中の主要テーマの一つになっているお題が書かれているではありませんか!
これは書かせていただくしかないと思った次第です。

現時点での私の認識を書かせていただきますと、
一元の世界も二元の世界も車の両輪のようなもので、どちらも必要なものであり、同等なものなのではないかと思っております。二つで一つという感じなのだと思っています。
一元の世界の存在意義を得るためには、二元の世界が必要なのであり、二元の世界の存在意義を得るためには、一元の世界が必要なのだろうと思います。
そう考える理由は非常にシンプルなものです。
一元世界も二元世界も含めて、すべての存在は大いなる存在そのものなのですから、悟りを知らないまま現象世界で生きる私のような存在(凡夫)も、悟りを経て後、肉体を離れられた先輩方も、同等であり、常に完全であるはずなのだと思うのです。
とすれば、多くの凡夫たちが生きるこの二元世界も、先輩達が存在する一元世界も、同等であり、共に無くてはならないものであるはずだと思うのです。

書かせて頂いてありがとうございました。
今後ともどうぞよろしくお願い申し上げます。m(_ _)m
Posted by bochibochi-ya at 2013年03月12日 19:46
皆さんから、早速たくさんのコメントをいただきました。

いろいろと学ぶこともあり、双方向のブログは素晴らしいと実感しています。


「釈の会」での話をふまえながら、

私なりの考えや、大乗仏教思想についてもお伝えしたいと思っています。


それまで、お楽しみに(^▽^)
Posted by こっさん(kossan)こっさん(kossan) at 2013年03月13日 09:36
こんにちは。

面白いお題ですね。
特に今日の記事を読んでいて私は以下のように感じました。

>「あの世とこの世」、「死後の世界」、「肉体と魂」等々は二元の世界ですね

この二元の世界は、今にない、空想の世界。

>そして、あるがままの「いまここ」は全一の一元の世界です。

唯一、肌で感じられる?リアルな世界。(この肌で感じるというのもひとつの方便になってしまいますが)
瞑想などでいまここ?に深く入っていくと無我?(静寂)にいきつくのが唯一のリアルな世界。無我ですから自分の肉体さえも感じないということでしょうか。

ってとらえました。

いつか向さんが書かれていましたが。
>瞑想にしろ坐禅にしろ、
>最初から努力することもなく、
>「在るがままにある」ことは難しいでしょう。

>つまり無努力の状態に至るために、
>努力の行為から初めるということになります。

これは大変解りやすくて気に入ってます!!
自転車に乗るのもはじめは努力が必要ですが、慣れてしまえばなんとも思わないわけですね!
ただし、自転車に乗る練習が楽しくて楽しくて仕方がなければ練習している本人は努力しているとはならないで、そのうち勝手に乗れるようになってしまう。

できれば、瞑想や、座禅もそうあったら言うことなし(笑)。
なのですが・・・。

今の段階では、とにかくリラックスするように努力?しています(笑)。
Posted by 田島 at 2013年03月13日 12:48
私も考えてみよう、、と。
すると、ふと、浮かんできました。

  太陽     月

       森
       羅
       万
       象

浮かんだままに書いてみました。


比叡山はいかがですか?

私は、比叡山に2回行きました。
2011年3月13日と、2012年12月22・23・24日 ダーマフェスティバル!!です。

向さんの、豪快な笑い声と、堀澤祖門さんの無邪気な笑い顔と声と(最近笑うようになったと仰ってましたね)、黒斎さんの楽しくて楽しくて跳んじゃった~みたいなピョンピョンはねた笑い声が、大好きで、大好きで、、なんだか聞こえてくるようです。

ダーマフェスティバルも最高に幸せでしたが、今も、穏やかに静かに幸せです。
すべてに感謝です(^o^)
Posted by あじさい at 2013年03月15日 12:45
向さん、皆様、こんばんは。

また少し思ったことがありますので、書かせて下さい。

さっき、「わたしという存在(大いなる存在とイコールです)」は、なで存在するのか、と考えておりましたところ、
その答えは、
「ただあるからある」
としかいいようがないということでした。
「ただある」という「こまこの瞬間」が延々と続いているのだということでした。

そう思い至ったとき、もう一つ分かったことがありました。
それは(うまく表現できませんが)、
本当に「わたしという存在」だけだったら、
「何も無いに等しい」
ということでした。
そこには、「愛」も感じられませんでした(愛があってもそれを感じられない状態というべきなのかも知れません)。
「無」と言ってもよいような状態でした。

やっぱり、わたしたちには、
この「現象世界」が必要なのだと思った次第です。

向さん、皆さん、私の認識がおかしいようでしたら、どうぞ指摘して下さいますようお願いいたします。
でないと、このまま死ぬまで矯正されないかも知れませんので(笑)。

書かせて頂いてありがとうございました。
Posted by bochibochi-ya at 2013年03月15日 19:42
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