2012年01月21日22:16
唯識⑫ーハプニング≫
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クスノキの大木の下にゴッロと大の字に身を投げ出すと、涙がとめどなく流れてきました。
今までの一切の荷物を放り出して大地に包まれ溶けこんだような安らぎと歓び、長い放浪の旅の末ようやく故郷に帰ったような安堵の気持ちです。
その日の空は真っ青な上天気で、クスノキの枝を小鳥たちが楽しげにさえずりながら飛び交っていたのを今でも鮮やかに覚えています。
初めての臘八で無字の初関を透過した感動は、60余年の人生で最高のものでしたが、でもその晩、私は大失敗をしたのです。
その日の老師の臘八示衆の講座も肚にビシビシとひびき、余すところ数日の接心もしっかりと坐ろうと気合いがかかり気持ちも高揚していたのでしょう。
薬石(やくせき、夕食)の後の休憩の合間に庫裏の典座(てんぞ、台所)の方へ行くと、2階の部屋で誰か数人が談笑している声が聞こえるではありませんか、かなり大きな声です。
私は、「皆が不眠不休で沈黙のうちに坐禅三昧に徹すべき臘八中に何ごとだ」と思い、
「コラ!静かにしろ」と階下から大声で一喝してしまったのです。
当の私はそれっきりで、さっさと禅堂にもどり坐禅を続けましたが、一緒に来ていた禅会の居士の先輩が大慌てで、
「これは気が高ぶって少しおかしくなったようだ。このまま僧堂においておいては、やばい」と思ったのでしょう、急遽私を連れて途中で下山することになったのです。
老師は、「部屋で休んでおればよい」と言われたのですが、先輩の居士の判断で帰ることになったのでした。
後でその先輩に聞いたところでは、談笑していたのは台所他の応援にきていた和尚さんたちだったようです。
その和尚さんたちに一升瓶をもって、
「うちの学生が大変失礼しました」とあやまりに行くと、
「まあー、臘八はこんなこともありますよ」と笑っておられたとか…..
別に弁解するわけではありませんが、臨済禅師と普化(ふけ)のやりとりにこんな話があります。
ある日、臨済と普化が法要後の会食に招かれました。席上臨済が「一本の髪の毛で大海を呑み込み、芥子粒(けしつぶ)一つに巨大な須弥山を納めるというがこれは、超能力の奇跡か、それとも見性者に自然に備わる働きか」と質問をしかけました。
すると普化は、いきなり食卓を蹴り倒しました。
臨済が乱暴じゃないかと言うと、普化は「ここで乱暴とか穏やかという場合ではあるまい」と応じました。
次の日も二人は、別の法要後の会食に招かれました。臨済は、「今日のメニューは昨日と比べてどうだ」と問うと、普化はまたまた食卓を蹴り倒しました。
臨済が「それはそれで良いが、あまりに乱暴すぎる」というと、
普化は「馬鹿野郎。仏法に穏やかだの乱暴だのということがあるか」と返した、というのです。
禅心は、世の善悪、常識、規律、世間体など一切の価値を超えた、純粋生命そのものの発露ですから、
私の場合も、失敗でもあり失敗でもない、今となっては懐かしいハプニングです(^□^)
今までの一切の荷物を放り出して大地に包まれ溶けこんだような安らぎと歓び、長い放浪の旅の末ようやく故郷に帰ったような安堵の気持ちです。
その日の空は真っ青な上天気で、クスノキの枝を小鳥たちが楽しげにさえずりながら飛び交っていたのを今でも鮮やかに覚えています。
初めての臘八で無字の初関を透過した感動は、60余年の人生で最高のものでしたが、でもその晩、私は大失敗をしたのです。
その日の老師の臘八示衆の講座も肚にビシビシとひびき、余すところ数日の接心もしっかりと坐ろうと気合いがかかり気持ちも高揚していたのでしょう。
薬石(やくせき、夕食)の後の休憩の合間に庫裏の典座(てんぞ、台所)の方へ行くと、2階の部屋で誰か数人が談笑している声が聞こえるではありませんか、かなり大きな声です。
私は、「皆が不眠不休で沈黙のうちに坐禅三昧に徹すべき臘八中に何ごとだ」と思い、
「コラ!静かにしろ」と階下から大声で一喝してしまったのです。
当の私はそれっきりで、さっさと禅堂にもどり坐禅を続けましたが、一緒に来ていた禅会の居士の先輩が大慌てで、
「これは気が高ぶって少しおかしくなったようだ。このまま僧堂においておいては、やばい」と思ったのでしょう、急遽私を連れて途中で下山することになったのです。
老師は、「部屋で休んでおればよい」と言われたのですが、先輩の居士の判断で帰ることになったのでした。
後でその先輩に聞いたところでは、談笑していたのは台所他の応援にきていた和尚さんたちだったようです。
その和尚さんたちに一升瓶をもって、
「うちの学生が大変失礼しました」とあやまりに行くと、
「まあー、臘八はこんなこともありますよ」と笑っておられたとか…..
別に弁解するわけではありませんが、臨済禅師と普化(ふけ)のやりとりにこんな話があります。
ある日、臨済と普化が法要後の会食に招かれました。席上臨済が「一本の髪の毛で大海を呑み込み、芥子粒(けしつぶ)一つに巨大な須弥山を納めるというがこれは、超能力の奇跡か、それとも見性者に自然に備わる働きか」と質問をしかけました。
すると普化は、いきなり食卓を蹴り倒しました。
臨済が乱暴じゃないかと言うと、普化は「ここで乱暴とか穏やかという場合ではあるまい」と応じました。
次の日も二人は、別の法要後の会食に招かれました。臨済は、「今日のメニューは昨日と比べてどうだ」と問うと、普化はまたまた食卓を蹴り倒しました。
臨済が「それはそれで良いが、あまりに乱暴すぎる」というと、
普化は「馬鹿野郎。仏法に穏やかだの乱暴だのということがあるか」と返した、というのです。
禅心は、世の善悪、常識、規律、世間体など一切の価値を超えた、純粋生命そのものの発露ですから、
私の場合も、失敗でもあり失敗でもない、今となっては懐かしいハプニングです(^□^)
この記事へのコメント
Dearこっさん、
過ぎたるは
及ばざるが如し…*
でしょうか?
いつも
平常心でいるって、
生身では難しいですね
私達の肉体って、
そんなふうに
創られていますね*
活気が出て、
陽気なとき、
興奮しているときって、
アドレナリンが
いっぱい放出されている
らしいのです*
と、いうことは*
楽しいとき、
興奮しているときって、
怒りっぽく、
単細胞になっているって事*
そんな時って、
周りがみえない
視野が狭い、
心が狭くなるのです*
禅とは、
身体(ホルモン)の
コントロールでも
あるのですね…*
本能を超えて*
こっさん、
貴方の瞳には
何が映っているのでしょうか*
私、
こっさんの
見ているものが
見てみたいです…*
さ、私も、平常心♪
よし!
リラックス~♪
こっさん、
おやすみなさい*
o(^-^)o
過ぎたるは
及ばざるが如し…*
でしょうか?
いつも
平常心でいるって、
生身では難しいですね
私達の肉体って、
そんなふうに
創られていますね*
活気が出て、
陽気なとき、
興奮しているときって、
アドレナリンが
いっぱい放出されている
らしいのです*
と、いうことは*
楽しいとき、
興奮しているときって、
怒りっぽく、
単細胞になっているって事*
そんな時って、
周りがみえない
視野が狭い、
心が狭くなるのです*
禅とは、
身体(ホルモン)の
コントロールでも
あるのですね…*
本能を超えて*
こっさん、
貴方の瞳には
何が映っているのでしょうか*
私、
こっさんの
見ているものが
見てみたいです…*
さ、私も、平常心♪
よし!
リラックス~♪
こっさん、
おやすみなさい*
o(^-^)o
Posted by *おねむ* at 2012年01月21日 23:39
全てはOKですね
(-^〇^-)
(-^〇^-)
Posted by 直弘 at 2012年01月22日 09:51
「コラ!静かにしろ」と言ったのですね(笑)
和尚さんたちもおおらかで、先輩も優しくていいですね。
去年臨済録を読んだとき、普化が出てくるたびに笑ってしまいました。
旧正月なので祖父母の仏壇に手を合わせてきました。
おじいちゃんの名前は父方母方、ヨーギとヨー仙^^
私も仙人になって、音だけ残して去っていきたいです、普化のように。
和尚さんたちもおおらかで、先輩も優しくていいですね。
去年臨済録を読んだとき、普化が出てくるたびに笑ってしまいました。
旧正月なので祖父母の仏壇に手を合わせてきました。
おじいちゃんの名前は父方母方、ヨーギとヨー仙^^
私も仙人になって、音だけ残して去っていきたいです、普化のように。
Posted by ∑˚)))K ぐるくん at 2012年01月22日 13:12
その場にいたなら、びっくりしたでしょうが、今ブログで読むとお茶目で、笑っちゃいます\(^o^)/
Posted by 三毛猫 at 2012年01月22日 13:52
おっさま、こんにちは。
浄化?覚醒?した直後でもそんな怒りの感情が
起こるんですね?!
とってもおもしろいです。
なんでも許せる気持ちになるんじゃないかと
想像しますが、やはり人間として生を受けた
特権?!だけはそのままなのですね(笑)
以前、瞑想はヨガのシャバアサナの感じで
寝て行っても良いという事を聞きましたが、
おっさまはどのように思われますか?
浄化?覚醒?した直後でもそんな怒りの感情が
起こるんですね?!
とってもおもしろいです。
なんでも許せる気持ちになるんじゃないかと
想像しますが、やはり人間として生を受けた
特権?!だけはそのままなのですね(笑)
以前、瞑想はヨガのシャバアサナの感じで
寝て行っても良いという事を聞きましたが、
おっさまはどのように思われますか?
Posted by さり at 2012年01月22日 16:43
そんな普化さんにはお弟子さん
はいたのでしょうか?
はいたのでしょうか?
Posted by しょうじ at 2012年01月22日 18:08
こんにちは!
楽しみに読ませてもらっています。
ところで禅定にはいることと、見性とは違うのですか?
瞑想で深いところに入っていくことと、見性とは違うのでしょうか?
私は、せいぜい30秒瞑想程度しかしていませんので、深いところはわかりませんが・・・。
やはり時間をとって深いところに入っていくと、また違った世界がまっているのでしょうね!!
それにしても、禅の世界ってすごいですね!!
楽しみに読ませてもらっています。
ところで禅定にはいることと、見性とは違うのですか?
瞑想で深いところに入っていくことと、見性とは違うのでしょうか?
私は、せいぜい30秒瞑想程度しかしていませんので、深いところはわかりませんが・・・。
やはり時間をとって深いところに入っていくと、また違った世界がまっているのでしょうね!!
それにしても、禅の世界ってすごいですね!!
Posted by 田島 at 2012年01月22日 19:51
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