2012年01月14日15:56
唯識⑧-接心2,3日目≫
カテゴリー │仏教・禅思想
禅定に入れば時間の意識はなくなってきて、
「え!もう1時間も経ったの」というように坐禅に集中できますが、初心の私は、禅定と言えるほどの坐禅がまだできていません。
ですから、1,2日目は、脚の痛さとあれこれの思いと挌闘しながら、腹式呼吸に合わせて「ム-」と無字に成りきろうとしました。でも、なにしろ脚が痛いのです。
2.3日目になると、
「こんなことしていて気が変にならないか?」と不安になったり、表層のあれこれの思いではなくもっと心の底から「ウオー」と叫んで逃げ出したという衝動に何度もかられたりしました。
それでも、
「いやいや、何百年もの伝統があり、多くの立派な禅僧や居士を輩出してきた禅の修行に間違いがあるはずがない」と、
自分自身を叱咤激励しながら全身全霊で無字三昧に突入していきました。
「唯識」では、自我のとらわれは第七識(マナ識)と呼ばれ深層から働くものとされています。
「勇猛精進(ゆみょうしょうじん)して直に命根を断ずれば豁然(かつねん)として法性現前(ほっしょうげんぜん)す」(臘八示衆)と言われますが、
その自我の命根がなかなか手強いのです。
「え!もう1時間も経ったの」というように坐禅に集中できますが、初心の私は、禅定と言えるほどの坐禅がまだできていません。
ですから、1,2日目は、脚の痛さとあれこれの思いと挌闘しながら、腹式呼吸に合わせて「ム-」と無字に成りきろうとしました。でも、なにしろ脚が痛いのです。
2.3日目になると、
「こんなことしていて気が変にならないか?」と不安になったり、表層のあれこれの思いではなくもっと心の底から「ウオー」と叫んで逃げ出したという衝動に何度もかられたりしました。
それでも、
「いやいや、何百年もの伝統があり、多くの立派な禅僧や居士を輩出してきた禅の修行に間違いがあるはずがない」と、
自分自身を叱咤激励しながら全身全霊で無字三昧に突入していきました。
「唯識」では、自我のとらわれは第七識(マナ識)と呼ばれ深層から働くものとされています。
「勇猛精進(ゆみょうしょうじん)して直に命根を断ずれば豁然(かつねん)として法性現前(ほっしょうげんぜん)す」(臘八示衆)と言われますが、
その自我の命根がなかなか手強いのです。
この記事へのコメント
こっさま、こんばんは。
面白いです!早く続きが読みたいです(笑)
面白いです!早く続きが読みたいです(笑)
Posted by ブルーエンジェル at 2012年01月14日 17:48
ああ、続きが気になります!
わくわくします。
下手なドラマより、色々な意味でドラマチックなお話です!
続きを楽しみにしています。
でも、ご無理はされませんよう。
合掌
わくわくします。
下手なドラマより、色々な意味でドラマチックなお話です!
続きを楽しみにしています。
でも、ご無理はされませんよう。
合掌
Posted by 雅蔵 at 2012年01月14日 19:12
とても、参考になります。
私は、半跏趺坐で、あれこれの思いと、格闘しています。
「こんなことしていて気が変にならないか?」と思うほど、長時間の座禅はしたことがないです。
私は、半跏趺坐で、あれこれの思いと、格闘しています。
「こんなことしていて気が変にならないか?」と思うほど、長時間の座禅はしたことがないです。
Posted by 風に揺れる葦は道士 at 2012年01月15日 10:03
義務感にかられての瞑想になりがちです。
こんなことをしていて本当に開悟できるのだろうか、自分はだめではないだろうかなどとくじけそうな気持にもなりかかります。
きっとみんなとおってきた道だろう向さんも多分同じ気持ちになられたんだとちょっと安心しました。
でも仲間がいますこころから励まし合える素晴らしい仲間です。
よき指導者にも恵まれています。
徹底的にやってみようと思っています。
こんなことをしていて本当に開悟できるのだろうか、自分はだめではないだろうかなどとくじけそうな気持にもなりかかります。
きっとみんなとおってきた道だろう向さんも多分同じ気持ちになられたんだとちょっと安心しました。
でも仲間がいますこころから励まし合える素晴らしい仲間です。
よき指導者にも恵まれています。
徹底的にやってみようと思っています。
Posted by 烈舟 at 2012年01月15日 22:27
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