人生は不可解

カテゴリー │仏教・禅思想

今日はお葬式があったので、碧巌録(へきがんろく)』第55則にある「道吾漸源弔慰(どうごぜんげんちょうい)」というお話を紹介しましょう。

生死の問題に熱中する若い修行中の僧・漸源が、師の道吾禅師にしたがって檀家を訪ね、亡くなった死者を弔い遺族を慰めにいったときです、

漸源がお棺を打って師に「生か死か」と問います。

しかし師の道吾はただ「生ともいわない、死ともいわない」と応えるのみでした。

そこで漸源は「どうして言わないのですか?」とさらに聞きました。

それでも師の道悟は「いわない、いわない」とくり返すのみでした。


そののち道吾が他界したので、漸源は兄弟子にあたる石霜禅師に事のいきさつを語ったところ、石霜もまた「いわない、いわない」と言うのみでした。そこでさらに「どうして言わないのですか?」と聞くと、石霜も「いわない、いわない」とくり返すのみでした。

漸源は、そこではじめて悟ったということです。



話は変わりますが、明治36年5月、一人の18歳の青年が日光の華厳の滝に身を投げて自らの命を絶ちました。藤村操という旧制の一高生です。

彼が大きなミズナラの樹肌を削って書き残した文章には次の言葉がありました。

万有の真相は唯一言にしてつくす。曰く「不可解(ふかかい)」。


私にとっても、人生は不可解で分からないし、

お葬式で亡きがらを前にしても、生とも死とも言えません。

ただ、言葉も無く宇宙的沈黙の世界に佇むのみです。


私が藤村操と違うのは、
言葉による説明や理解はいらないし、不可解で分からないで安心し、分からないから面白いと感じていることでしょう。


藤村操が亡くなってから4年間で彼に共感して華厳の滝で自殺を図った若者は185人に上ったそうです。



私はこうして言葉で語る背後に、圧倒的な言葉の届かない世界を感じていて、その世界こそが生きる基盤であり、頭ではなくハラで生きようと決めています。

ですから、私にとって人生は「知的探求の場」である以前に、いまここの「実践的な探求の場」なのです。


こうしてブログを書いたりお話するのも、

人生が不可解だからと自殺するのではなく、不可解で分からないからこそ面白いと感じ、その時々の直観(ハラ)で日々新たに生きる仲間を増やしたいと念願しているからです。


宇宙的沈黙の広がりを表すのに「寥々(りょうりょう)」という言葉があります。

坐禅は、寥々たる天地宇宙の間にただ独りの境地にあって徹底して自己に親しみ安らぐ実践の作業です。



あ!それから庭の紅葉はブルーベリーの葉っぱでした(^□^)


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この記事へのコメント
Dearこっさん、

悟り…*
とは、

安心して
宇宙に身を委ねる…*

って事なのでしょうか?

どんなときも

絶望的な状況に
あっても…*

神仏に自身を委ねる…*

釈迦然り…*
キリスト然り…*
マザーテレサ然り…*

今、
出来る事の最善をつくして、

後は
宇宙(神仏)に
身を任せて……*

私、できるかなぁ~。

辛いの嫌。
苦しいの嫌。
哀しいの嫌。
恨むの嫌。
後悔、嫌…*

煩悩だらけで、
今、此処を生きています*

貴方や、沢山の
ニューエイジの言葉に
耳を傾けながら…*

*感謝*
Posted by *おねむ* at 2011年12月13日 22:09
今晩は

本当にこの世は不可解な事ばかりですね。

究極のところ、皆さん同じ想いなのでは?

そして、今ここをそれぞれに生きているのではないでしょうか?

一人一人と今ここで向き合うと、寂しさや孤独、そして、優しさや愛を観じ合えるのでしょうね。
そう思うと、笑顔で挨拶したり、ありがとうって素直に言えたりするだけで、幸せな気分になれますね。

宇宙にただ独りの自分…皆そうなんです。
Posted by るみりん at 2011年12月14日 00:13
寥々

はじめて聞いた言葉です
ありがとうございます(^人^)

寥々かぁ ♪( ´▽`)
Posted by hirokOM at 2011年12月14日 00:28
初めてコメントさせていただきます。
心に沁みるお話をいつもありがとうございます。
言葉を超えた世界。。。
「説明も理解も要らない、わからなくていい、だから面白い」
これで、いいのですね。
「ハラで生きる」素敵です。
来月の、講演会楽しみにしています。
Posted by nurse at 2011年12月14日 09:29
今日もハラハラドキドキを味わいたいと思います。
万物に導かれるままに。
Posted by 平櫛 at 2011年12月14日 10:07
ええ~、一番気になるところで話が、変わっちゃうの~と思いましたが

なるほど

言葉だけでは伝わらない世界もあるのですね

ただじっと感じてみる

そのことが大事なんでしょうね

(●^o^●)
Posted by 直弘 at 2011年12月14日 15:59
ブルーベリーだったんですか~・・・
全然お手上げでした。

人生まさに不可解ですが、理解しようとも試みませんでした。
こっさんと同じく、不可解だから面白く、語弊があるかもしれませんが、理解することはあまり重要でないと感じています。
起こるべきことが、起こっていて、それを受け入れているだけです。

食べること好き、飲むのも好き、吸うのも楽しみ、他にも好きなこと沢山あります。
煩悩だらけですが、楽しむことを自分から取り上げてしまって人生が楽しめなくなるのなら、煩悩もまだ持ってていいや、なんて不謹慎はことを考えたりします。
自然に煩悩が減っていくのを、ただ待っているだけ。
ダメでしょうかねえ、こういうの。
後ろ向きかなぁ。
Posted by 雅蔵 at 2011年12月14日 16:13
ブルーベリーだったのですね!
見事に間違えました(笑)

今日もありがとうございます!
Posted by ままや at 2011年12月14日 17:58
いまここに興味が湧く以前の私だったらきっと、藤村操に共感してたと思います。
こっさまのブログも、未悟りの私には不可解なことが多いですが、分からなくっても楽しく読んでいます。瞑想も始めてから1年経ちました。人生が優しくなってきたことも不思議です(*^_^*)
 ブルーベリーの葉も紅葉するって初めて知りましたぁ~☆
Posted by ロイヤルブルー at 2011年12月14日 20:39
解ろうとする考えがつまり”いまここ”に居なくなる事に。

絶望は考えであり、いまここでない所で起こるのでしょうね。

頭で生きるのか、ハートで生きるのか。

とは言っても社会は頭で生きさせようとする。
Posted by ぷ~すけ at 2011年12月15日 09:33
ブルーベリーでしたか♪
我が家にも6本ありますが、みな真っ赤に紅葉してからほとんど散ってしまいました
少し選定をしました
来年が楽しみです♪

藤村操・・・・・夕べ寝る前に高校生のころの気持ちを思い出していて、彼にとても気持ちが惹かれたことを思い出しました
今日、こっさんのブログで彼の名前を見てびっくりしました

人が元気に生きることができるのは、学問ではなく、愛することと愛されること、そのことに尽きると思います
Posted by しの at 2011年12月15日 20:02
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