2011年10月15日18:34
思いのとらわれから解放されましょう≫
カテゴリー │仏教・禅思想
「あるがままを受けいれ、思うままに生きる」④
私たちの本来の「あるがままの地平」に帰ることが悟るということですから、「悟る」と言うことは、迷いから抜け出し、心安らかに真実の人生を生きることです。
では、どうして私たちは、本来のあるがままの地平から離れて迷うのでしょうか。
それは、言葉による思いにとらわれるからです。
もう少し正確に言うと、自我(エゴ)の執着が自分の言葉による思い・価値観へのとらわれとなって、本来の精神の広がりを見失い、あるがままの地平から遊離してしまうのです。
これを仏教では、「無明(むみょう)」とか「煩悩、妄想」と言います。
般若心経では「顛倒夢想(てんどうむそう)」、逆さまになった夢のような実体のない想いと表現しています。
言葉は、考える道具として人間になくてはならないものです。
言葉がなければ、今日のような文明社会も科学技術の発展もなかったでしょう。
反面、言葉と言葉によって作り上げられた物語である思い込みや価値観、主義によって、人間は迷い、対立し、時には戦争までします。
日本では、この13年間で毎年3万人以上の人が自殺しています。延べ実に40万人以上の尊い命がなくなっているわけです。
「命どぅ宝(ぬちどぅたから)」、命こそ宝であり、生命の尊厳ということからすると先進諸国ではワーストワンです。
この問題解決のための社会的政策面の努力は当然ですが、
個人の生き方ということでは、仏教・禅の教えを、宗派性を超えた、あたりまえの人間の生き方として出来るだけ多くの人々に伝えることだと思います。
仏教の教えの根本は「無我」です。
自我のとらわれの無い自己となることです。
自我のとらわれが無くなれば、自分の言葉の思いのとらわれから解放されます。
思いのとらわれから解放されということは、いまここの「あるがままの地平」に立つということです。
つまり迷いから抜け出して、本来の真実の命に帰ることになります。
般若心経は「無-、無-、無-…」と続きますが、要は、あらゆる思いのとらわれの無い本来の純粋な命に究極の安心があるということです。
「遠離一切顛倒夢想(おんりいっさいてんどうむそう) 」、一切の逆さまの夢のような想いから遠く離れて、精神の自由を回復するのです。
人間は、思いの世界で悩み行き詰まるのであって、思うことのない無心な「あるがままの地平」に人生の基盤をおいておけば、行き詰まることはありません。
思いの世界に取りこまれず、いまここに腹をすえて無心に、感性と直観で生きる習慣が大切です。
そのような身と心が一体となった成りきった生き方を「三昧」とか「禅定」というのです。
7月15日のブログで、YouTubeから配信した「延命十句観音経」などのお経や真言を、腹の底から全身全霊で毎日唱えたり、坐禅したりすることが、「三昧」になる力を養う一番の方法です。
また、身体の活動をともなった集中しやすい作業、料理、掃除、大工仕事、ウオーキングなど、自分が楽しんで出来ることも「三昧」の境地を養うことになります。
私たちの本来の「あるがままの地平」に帰ることが悟るということですから、「悟る」と言うことは、迷いから抜け出し、心安らかに真実の人生を生きることです。
では、どうして私たちは、本来のあるがままの地平から離れて迷うのでしょうか。
それは、言葉による思いにとらわれるからです。
もう少し正確に言うと、自我(エゴ)の執着が自分の言葉による思い・価値観へのとらわれとなって、本来の精神の広がりを見失い、あるがままの地平から遊離してしまうのです。
これを仏教では、「無明(むみょう)」とか「煩悩、妄想」と言います。
般若心経では「顛倒夢想(てんどうむそう)」、逆さまになった夢のような実体のない想いと表現しています。
言葉は、考える道具として人間になくてはならないものです。
言葉がなければ、今日のような文明社会も科学技術の発展もなかったでしょう。
反面、言葉と言葉によって作り上げられた物語である思い込みや価値観、主義によって、人間は迷い、対立し、時には戦争までします。
日本では、この13年間で毎年3万人以上の人が自殺しています。延べ実に40万人以上の尊い命がなくなっているわけです。
「命どぅ宝(ぬちどぅたから)」、命こそ宝であり、生命の尊厳ということからすると先進諸国ではワーストワンです。
この問題解決のための社会的政策面の努力は当然ですが、
個人の生き方ということでは、仏教・禅の教えを、宗派性を超えた、あたりまえの人間の生き方として出来るだけ多くの人々に伝えることだと思います。
仏教の教えの根本は「無我」です。
自我のとらわれの無い自己となることです。
自我のとらわれが無くなれば、自分の言葉の思いのとらわれから解放されます。
思いのとらわれから解放されということは、いまここの「あるがままの地平」に立つということです。
つまり迷いから抜け出して、本来の真実の命に帰ることになります。
般若心経は「無-、無-、無-…」と続きますが、要は、あらゆる思いのとらわれの無い本来の純粋な命に究極の安心があるということです。
「遠離一切顛倒夢想(おんりいっさいてんどうむそう) 」、一切の逆さまの夢のような想いから遠く離れて、精神の自由を回復するのです。
人間は、思いの世界で悩み行き詰まるのであって、思うことのない無心な「あるがままの地平」に人生の基盤をおいておけば、行き詰まることはありません。
思いの世界に取りこまれず、いまここに腹をすえて無心に、感性と直観で生きる習慣が大切です。
そのような身と心が一体となった成りきった生き方を「三昧」とか「禅定」というのです。
7月15日のブログで、YouTubeから配信した「延命十句観音経」などのお経や真言を、腹の底から全身全霊で毎日唱えたり、坐禅したりすることが、「三昧」になる力を養う一番の方法です。
また、身体の活動をともなった集中しやすい作業、料理、掃除、大工仕事、ウオーキングなど、自分が楽しんで出来ることも「三昧」の境地を養うことになります。
この記事へのコメント
今日、職場に着く直前に、ふと思い出して車中で「延命十句観音経」を唱えました。
YouTubeの動画を、そっくりそのまま真似て覚えています(笑)
先週、母の手術も無事成功しました。
ありがとうございます。
YouTubeの動画を、そっくりそのまま真似て覚えています(笑)
先週、母の手術も無事成功しました。
ありがとうございます。
Posted by ぐるくん at 2011年10月15日 23:38
全ては程ほどにじゃないですかね。
そんな気がするこの頃です。
でかいマイナスにはでかいプラスだけど、
すこしのマイナスにはすこしのプラスでいい。
ひとつとして同じ生き方は無いけど、みんな無に帰るのは同じ。
それぞれの人生どれも悪くは無い。それを信じられるかどうかでは。
そんな気がするこの頃です。
でかいマイナスにはでかいプラスだけど、
すこしのマイナスにはすこしのプラスでいい。
ひとつとして同じ生き方は無いけど、みんな無に帰るのは同じ。
それぞれの人生どれも悪くは無い。それを信じられるかどうかでは。
Posted by ぷ~すけ at 2011年10月17日 11:48
向和尚 沖縄のマークブです。今日も宗派を超えたさとりの教えをありがとうございます。youtubeも和尚のお経が久しぶりに聞けて大変良かったです。機会がありましたら、座禅和讃もお願いします。
また、沖縄に来られるのを楽しみにしています。
また、沖縄に来られるのを楽しみにしています。
Posted by マークブ at 2011年10月17日 13:49
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