唯識について③ー無字の公案

カテゴリー │仏教・禅思想

さて、今回は「無字」の公案です。
臨済禅の専門道場の修行は、坐禅・読経・掃除・料理・托鉢・作務(畑仕事等の肉体作業)と老師(ゼン・マスター)と弟子との一対一の参禅問答によって構成されています。

すべてが、身と心を一つにして成りきって行う「禅定」に導く日常生活に根ざした実践体系として完成されています。


参禅問答は老師が弟子に「公案」を与えることから始まります。

公案とは、禅の祖師たちの具体的な行為・言動を取りあげて、禅の精神、悟りの境地を究明するための問題としてとりあげるものです。
わが国でいちばんポピュラーな公案集として参禅修行者に最初に課せられるのが『無門関』という中国宋代の禅僧無門慧開和尚(1183~1260)が編集したものです。
その中でも第一則「趙州無字(じょうしゅうむじ)」の公案は、修行者を見性に導く初関として有名です。
内容は、本則と無門禅師の解説で構成されています。特に無字の公案の解説は、禅を実践するに当たって最初の関門をどう透過するかについて、懇切丁寧な説明がなされています。

「無字」の公案を透過することは、いわゆる無我に成りきり「空」を体感することですから、無字の初関は究極の公案でもあるわけです。


それでは、できるだけ分かりやすく意約してみましょう。

無門関 第一則「趙州無字」

【 本 則 】

趙州にある僧が尋ねました、
「犬にも仏性があるでしょうか?」と。
趙州は「無」と答えました。


【無門禅師の解説】

参禅は必ず禅の祖師によって設けられた関門を透過せねばならない。絶妙の悟りに至るには心の意識を完全に滅してしまわねばならない。関門を透ったこともなく心の意識を滅したこともなければ、その人たちはいわば薮や草むらによりかかかり住みつく幽霊のようなものである。

さあ言ってみよ。この祖師の関門とはどんなものか。ただこの「無」の一字、これが禅宗の第一の関門であり、これを「禅宗無門関」と称する。この関門を透った人は、親しく趙州と会うことができるのみか、歴代の祖師たちと、手に手をとって歩き、互いの眉毛が引っ付く程に親しくなって祖師たちの見たその眼ですべてを見、同じ耳で聞くことができる。

本当にすばらしいことではないか。なんとしてもこの関門を透過しようではないか。それには、三百六十の骨節、八万四千の毛孔といわれる全身全霊をあげて、疑問のかたまりとなり、「無」の字に集中し、日夜工夫しなさい。

しかし「無」を単に「虚無」と理解してはいけないし、また「有る」とか「無い」とかの理屈・分別の「無」と解してもいけない。
この無は、まるで熱い鉄丸を呑みこんでしまったように、吐きたくても吐くこともできず、今までとらわれていた知識や意識をすっかり洗い落し、時機が熱すると、自然に意識と対象との隔たりがとれ完全に合一の状態に入る。
それは聾唖者が夢にみたことを人に語れぬように、自分自身では知覚していても言葉では説明のしようの無い状態に似ている。

突如そのような別体験が訪れると、驚天動地の働きで、関羽将軍からその大刀を奪いとって自分の手にいれたようなもので、仏に出会えば仏を殺して仏の呪縛を破り、達磨に出会えば達磨を殺して祖師の呪縛を破り、現世に在りながら、無生死の大自在を手に入れ、六道や四生の世界に在りながら、自分という意識を離れた遊戯三昧(ゆげざんまい)の境地にいたる。

では、どのように工夫したらよいのか。

平生の精神力をつくしてただ「無」の一字に集中せよ。もし間断なく休止することがなければ、ロウソクに火がつくように、心中に悟りの光が一時に灯るといった境地になる。



私にとって、見性から今日にいたるまで、この「無字」は一切の意識の呪縛を解き放つ大刀であり究極のマントラであり、私の本質そのものです。


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この記事へのコメント
三国志の関羽将軍の名が出てくるとは思いませんでした。

しかし、無について考えるのではないのですよね。

自身の本質に意識を合せるようですね。
Posted by ぷ~すけ at 2012年01月05日 00:36
む、む、む~~(・・;)

ある も ない も どっちでもいい って、ことでせうか…ただ無の字によって、心は それだけ になるのでせうか…次回も楽しみです。
Posted by ブルーエンジェル at 2012年01月05日 13:45
とても解りやすい説明をありがとうございます。すごい臨場感と迫力を感じました。見性体験者の貴重なお話をありがとうございます。
Posted by 平櫛 at 2012年01月05日 17:26
Dearこっさん、

(悟り)とは

一体、全体、
どうすれば
(悟った)と、
判るのでしょうか…?

(無)とは、
唯、在ること…?

仏性とは…?

人間以外の森羅万象は
唯、宇宙に身を任せ、
純粋に生きているだけ*
って、感じるのですが…*

アフリカで、
ライオンに狩られ、
食べられる
草食獣の神々しさや、

花を咲かせ、
種を結び枯れてゆく、
植物達のひたむきさや…*

(悟った)とは、
人に生まれて
初めて感じる境地
なのでしょうか…?

私は、
俗世の女人なので、

(足ることを知る)
ということを、
感じられる様に在りたいと、
日々、
思っております。

(悟る)とは、
心(魂)が満たされる事
なのでは…*

仏性(真我)に
自我(インナーチャイルド)が
近づく事なのでは…?

仏性(真我)に抱かれたとき、
自我は滅するのでは…?

人間家業を
ひた向きに、
生きて行きたい…*

無の本性は…?
もっと、
解りたいです…*

私達(森羅万象)の意味…*
何故、生じ*
何故、考える葦であるのか…?
Posted by *おねむ* at 2012年01月05日 23:55
はじめまして。これから先は瞑想か坐禅しかないと阿部さんや多くの本から教えられ縁あって禅を学びはじめました。

見性したという事です。いまは坐禅の必要性を痛感しております。

こちらのブログは娘に繋いでもらいました。

読みはじめたばかりですが禅を学ぶ上で大変参考になります。これからも宜しくお願いいたします。
Posted by めだか at 2012年01月07日 21:19
2,012年1月04日の『無字の公案』の記事の転載をお願いしたいと思いますが 如何でしょうか、

転載先は『http://www.jinseimondainokaiketsu.com/contents3.html』です。

何卒よろしくお願いします。
Posted by 野村春夫 at 2012年04月13日 18:56
野村春夫さんへ

どうぞ転載してください。
Posted by こっさん(kossan)こっさん(kossan) at 2012年04月14日 07:36
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